Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

必要条件と十分条件

資料があることは研究を開始する十分条件ではありますが,必要条件とはなりません.大量に存在する資料が示唆する大量の「それ」のなかから自分の研究テーマを選択するのは,自分の問題関心にほかなりません.自分の問題関心をもって資料に問いかけることから,歴史学者の研究は始まるのです.[小田中直樹歴史学のトリセツ』p.70]

必要条件と十分条件が逆なのではないかという気がする.資料があるだけでは研究をはじめるのに不十分であり,歴史学者の問題関心も必要だ,という趣旨だと思うのだが,私が誤解しているのだろうか.

意味場

社会システム理論では意味論semantics という概念が枢軸を成す。この概念は歴史学の観念史研究に由来する。例えば「生徒」という概念は独立自存せず「先生」「学校」…などの諸概念からなるパッケージの中で初めて意味を持つ。このパッケージを意味論という。

意味論の構成要素はワンワードに対応する概念のみならず「先生を敬うべし」「生徒の心を理解すべし」といったコード(指令情報)や価値観(評価情報)も含み得る。観念史という場合、個別概念や命題ではなくこうした意味論的パッケージの変遷をさす。*1

この「意味論」の用法は昔からよくわからなくて疑問に思っていた.history of ideasに由来すると言われているので,ラブジョイとかを読めばよかったのかもしれないがそこまで手が回らなかった.

最近,意味論の教科書を読んでいたら「意味の場semantic field」という用語に出くわして,ようやく得心がいった*2.意味の場は,トリーア(Trier)に代表されるドイツの言語学者たちが提唱した考え方で,語彙はそこに含まれる語から直接校正されるわけではなく,意味的に関連した語群である場から構成される,それゆえ,語の意味は単独で決まることはなく,それが置かれた場の中で他の語との関係で相対的に決まる,と.

ソシュールの構造言語学をなんとなく連想させるなぁと思ってググってみたら,そういう解説記事を見つけたので,これも納得だった.

関連記事

*1:宮台真司『世界はそもそもデタラメである』p.119f

*2:中野(編)『意味論』p.29

ラッセルの自叙伝

マット・リドレーの『やわらかな遺伝子』を読んだのだが、ところどころで興味深い蘊蓄が披露されていてよかった。個人的に一番驚いたのは、刷り込みを発見したのはローレンツではないというくだりで、スポルディングという生物学者に触れた箇所である。

スポールディングについてはほとんど知られていないが、わずかに知られている事実がじつに珍奇だ。彼は、フランスのアヴィニョンで知り合ったジョン・スチュアート・ミルの紹介で、バートランド・ラッセルの兄の家庭教師になった。ラッセルの両親、アンバリー子爵夫妻は、肺病持ちのスポールディングが子どもをつくるのはまずいだろうと考えた。だが一方で、男としての自然な性欲を抑えるべきではないとも思い、そのジレンマを露骨な手段で解決することにした。アンバリー子爵夫人がみずから相手になったのだ。義務感に駆られてそうしていた夫人は一八七四年に亡くなり、一八七六年には夫も亡くなったが、子爵は生前、スポルディングバートランド・ラッセルの後見人のひとりに指名していた。しかし、亡き夫人とスポールディングの関係が明らかになり、仰天した高齢の祖父ラッセル伯爵が、すぐに幼いバートランドの後見人の地位を引き継いだ。

何だそれはたまげたなぁ、ということで、ラッセルの自伝を調べてみた。

ラッセル自叙伝〈第1〉1872年-1914年 (1968年)

ラッセル自叙伝〈第1〉1872年-1914年 (1968年)

 

冒頭の「幼年時代」の章にこの話は書かれているのだが、最初に読んだ時にはどうも話が違うのではないか、と疑ってしまった。おかしいと思って、原著でどう書かれているのかも調べてようやくわかったのだが、邦訳はこの箇所を完全に誤訳している。肺病にかかった人物をスポルディングではなくラッセルの兄と訳している上に、ラッセルの母親がスポルディングとlive withするのを許した、という箇所を「一緒に暮らすのを許した」と訳している……。

邦訳の質に疑問符がついてしまったのは残念だが、訳者があとがきに記している次のコメントは完璧に正しいと思う。

「普通の人には、とうてい口にすることも出来ないような恥ずかしいことでも、すこしも隠し立てすることなく、そのまま語られている」(p.298)

たとえば、思春期のときのことを振り返っている箇所を読んでみよう(pp. 39-40)。圧倒される。 

 性の事実をわたくしがはじめて知るようになったのは、十二歳の時であった。…

十五歳の時、ほとんどがまんが出来ないほどの強烈な性欲を感じ始めた。意識を集中して勉強している間も、絶えずペニスの勃起に悩まされた。そうして、自慰の習慣に陥った。…

毎日、女性の身体を見たいという欲望に長時間をついやした。そうして、いつも、女中たちが着物を着ているのを、窓からちらっとでも見ようとするのが常だった。しかしながらそれはいつでも不成功に終わった。

友のジミイとわたくしは、一冬、地下室をつくって遊んだ。それは、一人が四つん這いになって這ってゆく長いトンネルと6インチ立方の一つの部屋とから成り立っていた。わたくしはいつも、一人の女中をわたくしについて来るように誘ってこの地下室へ連れていった。そこで彼女に接吻をし、抱きしめた。一度は彼女に、わたくしと一緒に一夜を過ごさないかと言った。そのとき彼女は、そんなことをするくらいならむしろ死んだ方がましだと言った。わたくしはそれを信じた。彼女はまた驚きの表情をしめして、わたくしが善良なひとだと考えていたと言った。その結果、このことはこれ以上進展しなかった。

パスタでできた牛

DALL-E(ダリ)という画像生成プログラムが今年の一月にOpenAIから発表されて

話題になった。「アボカドの形をしたアームチェア」のようなテキストを入力として受け取って、それらしい画像を返すプログラムである。分かりやすい解説が

にある。イラストレーターがそのうち失業するのではないか、とかささやかれるなど、各方面に大きなインパクトを与えたようで、いろんなメディアで報じられた。

個人的にちょっと面白かったのが、Wiredの記事で

「スパゲッティでできた騎士a knight made of spaghetti」というテキストを入力して返ってきた画像がいくつか並んでいる。なぜこんなフレーズを考えたのかよく分からないのだが…。おにぎりで動物の形を作ったりするのはお弁当でよくあるけど、スパゲッティでそういうことってやられてたりするのだろうか。

そういえば、古代ギリシャピタゴラス三平方の定理を発見したときに神に感謝して牛100頭を供物として捧げたという伝説があるが、それはベジタリアンとしてはヤバイのでは、ということで、犠牲になったのは本物の牛ではなく「パスタでできた牛」という苦しい解釈がなされたという*1

*1:神崎『人生のレシピ』p.4f

言語学レクチャーシリーズ

この1年はYouTubeで講演とか講義を視聴する機会がかなり増えた。最近見つけた国立国語研究所言語学レクチャーシリーズもなかなかいい。

個人的におすすめなのは、第1回の「音韻構造と文法」、第2回の「音声学入門」、第6回の「ことばを数える―計量語彙論の世界」。

國分『はじめてのスピノザ』

スピノザの属性概念は、デカルトの「心身二元論」(精神と身体(物体)をそれぞれ独立したものとする考え方)への批判として捉えることができます。デカルトは精神と身体を分け、精神が身体を操作していると考えました。巨大ロボットの頭に小さな人間が乗って操縦しているイメージですね。[國分功一郎『はじめてのスピノザ』p.85]

読んでてずっこけたのだが、これ大丈夫か。デカルトは第六省察で、身体と心がいかに密接で親密な関係を取り結んでいるかを強調して、心は水夫が船に乗っているように身体に宿っているのではない、と論じている。我々は自分の身体の中で生じることに気付くが、その気付き方は、推論的なものではない、とか。

その少し後では、スピノザは思惟と延長以外にも無限の属性があると考えていたと紹介しつつ

このテーマはここではとても扱い切れません。しかしスピノザが何か途方もないことを考えていたことは知っておいていただきたいと思います。

もしかしたら理論物理学が進歩して、この二つの属性以外の属性を明らかにしてくれる日が来るかもしれません。実際、理論物理学にはいま、ユニヴァースならぬマルチヴァースなるものを論じる「多元宇宙論」という分野が存在しています。もちろんそれはスピノザとは直接は関係ないかもしれません。しかしどこかスピノザの発想に通ずるものを感じるのです。p.87f

紹介する余裕がないのはいいが、多元宇宙論に通じてると感じる根拠は何なのだろうか。学生のレポートでこういうこと書いてあったら教員はどう反応するだろう。

高校物理

高校の科目でいちばん難しいのは物理だと思う。個人的な意見だし、自分は大学受験で物理を使わなかったので、それもあるとは思うけど、それを割引いても物理は難しい。

物理に苦手意識のある人には、最近見つけた以下のYouTubeのチャンネルがお薦めだ。

「24時間ではしりぬける物理」とその「補講」を一通り視聴すれば、予備知識ほぼゼロだったとしてもある程度感覚がつかめるのではないかと思う。ある程度知っている人にとってもよい復習になるはず。解説は非常に明晰で、先生の熱意と人柄のよさも伝わってくる。おしゃれなオープニングまでついていて、素晴らしい動画だと思う。この先生の書いた一般相対性理論の入門書とかも読んでみたい。

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