Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

國分『はじめてのスピノザ』

スピノザの属性概念は、デカルトの「心身二元論」(精神と身体(物体)をそれぞれ独立したものとする考え方)への批判として捉えることができます。デカルトは精神と身体を分け、精神が身体を操作していると考えました。巨大ロボットの頭に小さな人間が乗って操縦しているイメージですね。[國分功一郎『はじめてのスピノザ』p.85]

読んでてずっこけたのだが、これ大丈夫か。デカルトは第六省察で、身体と心がいかに密接で親密な関係を取り結んでいるかを強調して、心は水夫が船に乗っているように身体に宿っているのではない、と論じている。我々は自分の身体の中で生じることに気付くが、その気付き方は、推論的なものではない、とか。

その少し後では、スピノザは思惟と延長以外にも無限の属性があると考えていたと紹介しつつ

このテーマはここではとても扱い切れません。しかしスピノザが何か途方もないことを考えていたことは知っておいていただきたいと思います。

もしかしたら理論物理学が進歩して、この二つの属性以外の属性を明らかにしてくれる日が来るかもしれません。実際、理論物理学にはいま、ユニヴァースならぬマルチヴァースなるものを論じる「多元宇宙論」という分野が存在しています。もちろんそれはスピノザとは直接は関係ないかもしれません。しかしどこかスピノザの発想に通ずるものを感じるのです。p.87f

紹介する余裕がないのはいいが、多元宇宙論に通じてると感じる根拠は何なのだろうか。学生のレポートでこういうこと書いてあったら教員はどう反応するだろう。