この1年はYouTubeで講演とか講義を視聴する機会がかなり増えた。最近見つけた国立国語研究所の言語学レクチャーシリーズもなかなかいい。
個人的におすすめなのは、第1回の「音韻構造と文法」、第2回の「音声学入門」、第6回の「ことばを数える―計量語彙論の世界」。
スピノザの属性概念は、デカルトの「心身二元論」(精神と身体(物体)をそれぞれ独立したものとする考え方)への批判として捉えることができます。デカルトは精神と身体を分け、精神が身体を操作していると考えました。巨大ロボットの頭に小さな人間が乗って操縦しているイメージですね。[國分功一郎『はじめてのスピノザ』p.85]
読んでてずっこけたのだが、これ大丈夫か。デカルトは第六省察で、身体と心がいかに密接で親密な関係を取り結んでいるかを強調して、心は水夫が船に乗っているように身体に宿っているのではない、と論じている。我々は自分の身体の中で生じることに気付くが、その気付き方は、推論的なものではない、とか。
その少し後では、スピノザは思惟と延長以外にも無限の属性があると考えていたと紹介しつつ
このテーマはここではとても扱い切れません。しかしスピノザが何か途方もないことを考えていたことは知っておいていただきたいと思います。
もしかしたら理論物理学が進歩して、この二つの属性以外の属性を明らかにしてくれる日が来るかもしれません。実際、理論物理学にはいま、ユニヴァースならぬマルチヴァースなるものを論じる「多元宇宙論」という分野が存在しています。もちろんそれはスピノザとは直接は関係ないかもしれません。しかしどこかスピノザの発想に通ずるものを感じるのです。p.87f
紹介する余裕がないのはいいが、多元宇宙論に通じてると感じる根拠は何なのだろうか。学生のレポートでこういうこと書いてあったら教員はどう反応するだろう。
高校の科目でいちばん難しいのは物理だと思う。個人的な意見だし、自分は大学受験で物理を使わなかったので、それもあるとは思うけど、それを割引いても物理は難しい。
物理に苦手意識のある人には、最近見つけた以下のYouTubeのチャンネルがお薦めだ。
「24時間ではしりぬける物理」とその「補講」を一通り視聴すれば、予備知識ほぼゼロだったとしてもある程度感覚がつかめるのではないかと思う。ある程度知っている人にとってもよい復習になるはず。解説は非常に明晰で、先生の熱意と人柄のよさも伝わってくる。おしゃれなオープニングまでついていて、素晴らしい動画だと思う。この先生の書いた一般相対性理論の入門書とかも読んでみたい。
同じ体積の、高温の水と低温の水を冷却すると、高温の水のほうが早く凍ることがある、という話がある。これは、発見者となったタンザニアの中学生にちなんで「ムペンバ効果」と呼ばれる*1。
信じがたい話だが、再現するのは難しいものの、まったくのデタラメでもないらしいというから驚きである。
ちなみに、wikipediaの記事によれば、アリストテレスやデカルトも、このムペンバ効果に気づいていた可能性があるようだ。昨日の記事にもあるように、ちょうど『デカルト著作集』1巻を図書館で借りているところだったので、典拠を探してみたところ、『気象学』第1講の最後の方で該当箇所を見つけた。参考までに引用しておく。
火の上に長時間かけてあった水は、そうでない水より早く氷る。これは水の微小部分のうち、もっともたわみにくいものが、熱せられているあいだに蒸発するためである。p.230
*1:『知の理論を解読する』p. 75
バターフィールド『近代科学の誕生』を眺めていたら、デカルトに関するこんな記述を見つけた(上巻p.182f)。
『気象学』の中で、彼は、よく人の口にのぼる、雲が血の雨を降らすこととか、雷が石に変わることとかについて、説明を試みている。実際、彼は新事実や異常現象を発見するために実験を行うよりも、常識として受け入れられている事がらを彼の方法を適用して説明することの方がおもしろいと言っている。
いまあげたような彼のいわゆる公認の「事実」には、吟味もせずにスコラ学者の著作から取り入れたものが多い。
赤字部分のようなことを本当に言っているのかと思い、調べてみたらあっさり見つかった。正直何を言っているのかよく分からないのだが、とりあえず、白水社の増補版『デカルト著作集』1巻所収の「気象学」第七講から引用する。
まず、雷が石に変わるという話は以下。
雷は、もしこのような浸滲性の強い蒸発物のあいだに、ときに脂肪性の、硫黄を含んだ他の多くの蒸発物があるならば、非常に固い石に変わって、ぶつかるもののすべてを折り、砕くことがあるが、とりわけ、もっと大きくて、雨水を器に入れて澄ませるときその底に見られるあの土に似た蒸発物の混じっているときがそうである。実験によって見られるとおりであって、このような土と硝石と硫黄のいくらかを混ぜ合わせたのち、この合成物に火を点ずると速やかに石が形づくられるのである。p.288
血の雨については以下。
いくつものさまざまな性質をもつ蒸発物があるのだから、雲がそれらを圧することによって、それらが持つ色と濃度により、あるいは腐敗して、わずかの時間でなにがしかの小動物を生み出すような物質がときにつくられることが不可能だとは思われない。たとえばさまざまな奇蹟の物語のなかに、しばしば鉄や血やバッタやそれに類するものが天から降ったとあるのがそれである。p.289
スコラ学者の著作から取り入れられているという点については、訳注によると、ポルトガルのコインブラ大学にあるイエズス会の大学教授たちが書いた『スタギラの人アリストテレスの気象の諸巻注解』という本が典拠になっているらしい。この本はラ・フレーシュ学院で教科書として使われていたらしく、ジルソンはこの本とデカルトの「気象学」の比較研究を行って多くの類似点を見出した、とのことだ。
ワインバーグの『科学の発見』は、「気象学」第八講にある虹の説明をデカルト最高の業績として紹介している。ワインバーグによれば、デカルトの仕事には間違いが多すぎて、過大評価されている、とのことである。実際、間違いのサンプルがいくつか紹介されていたと思うが、上述のような箇所は紹介する価値もないという感じか。
ブラックバーンが編集している『図鑑 世界の哲学者』という本を図書館で借りてみたのだが、美しい図版がたくさん収録されていて大変面白い。文章を読まずに眺めてるだけで楽しめるのだが、最近疲れているのだろうか…。
いい笑顔である。そういえば、デモクリトスには「笑う哲学者」という異名もあるのだったっけ。「人間にとって最善とは、できるだけ上機嫌で、できるだけ不機嫌であることなく、人生を送ることである」(断片189)。岩田靖夫によれば、「上機嫌」という概念がデモクリトス倫理の中心概念であり、これは口腹のようなはげしい快楽ではなく、静かで上品な快楽なのだそうだ*1。
笑顔の肖像画といえば、18世紀フランスの唯物論者ラ・メトリーにも、歯を出して笑っている肖像画がある。
ド・ラ・メトリというと、『人間機械論』というタイトルの本を書いた人、くらいにしか知らないのだが、彼はなぜ笑っているのだろうなぁ…。
*1:岩田『ヨーロッパ思想入門』p.53