Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

ディカプリオの彼女

レオナルド・ディカプリオの年齢の推移と、彼女の年齢の推移を示したグラフというものを見かけた。

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このグラフはなかなか味わい深い。まず、25歳がage limitとなっているのに笑ってしまうが、少し経って、1年以上彼女がいないということがなく、3年連続で彼女の年齢が下がっていることもある(2010-2013)のに気づいてさらに笑ってしまう。

このグラフに触発されてちょっとしたパズルを思い付いたので記しておく。次のような三段論法を考える。

  1. 人間はみな毎年一つ年をとる。
  2. レオナルド・ディカプリオの彼女は人間である。
  3. したがって、レオナルド・ディカプリオの彼女は毎年一つ年を取る。

二つの前提はどちらも正しそうだし、演繹的にも妥当な推論だと思われるが、上のグラフを考慮するとこの結論は奇妙に思える。

おそらく「毎年年をとる」という述語には量化が隠れており、「レオナルド・ディカプリオの彼女」が記述句であるというのが問題の元凶なのだろう。もしそうなら、結論は多義的になる。記述句のスコープを広くとって、ディカプリオの彼女である人物について、そいつは毎年年をとる、という風に事象的に読めば結論は正しいが、記述句のスコープを狭く解釈すれば偽になるのではないか。しかし、「毎年年をとる」をどういう風に分析すればいいのか分からない。

 

エンペドクレス

「ねえ、エンペドクレスのサンダルの話知ってる?」 「え、なんだって。」 「エンペドクレスって、世界で一番最初に、純粋に形而上学的な悩みから自殺したんですって。」 「へえ。」 「それでヴェスヴィオの火口に身を投げたんだけど、あとにサンダルが残っていて、きちんとそろえてあったんですって。」 「へえ。」 「素敵ね、エンペドクレスって。」 「うん(?)」 「サンダルがきちんとそろえて脱いで合ったんですって。いいわあ。」 「ふーん。」*1

wikipediaには、ヴェスヴィオ火山ではなくエトナ火山に飛び込んだという逸話が載っているので、どういうこっちゃと思ったのだが、調べてみるとことごとく通説とズレているのが分かって、これはもうわざと改変してるんだろうなと思った。

ディオゲネス=ラエルティオスの『列伝』には次のようにある。宴会が終わって夜が明けると、エンペドクレスの姿はなかった。これに関して諸説あるのだが

ヒッポボトスによれば、エンペドクレスは起き上がってから、アイトナの方へ向かって旅立っていったのであり、そして噴火口のところまでたどり着くと、その中へ飛び込んで姿を消したが、それは、神になったという自分についての噂を確実なものにしたいと望んでのことであったという。しかし後になって、事の真実は知られることになった。というのも、彼が履いていた靴の片方が焔で吹き上げられたからであるが、それは彼が青銅製の靴を履くのを習慣にしていたからだというのである*2

*1:庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』新潮文庫p.15

*2:『哲学者列伝』8巻、邦訳下巻p.66

大内宿とイザベラ・バード

この前紹介した、YouTubeの「ゆっくり大江戸」で大内宿の動画を見て触発されたので、その勢いで大内宿に行ってきた。知らない人向けに簡単に説明すると、大内宿は福島県会津あたりの宿場。江戸時代の雰囲気が残った景観が魅力的で、年間100万人ちかい観光客が来るらしい。

交通の便はあまりよくない。動画では鬼怒川まで鉄道で、そこから大内宿までは車、という少し変則的なルートを紹介していたけれど、私の場合は東北自動車道を使って車のみで移動した。鉄道だけで行く場合には、会津鉄道湯野上温泉が最寄り駅になるけど、そこから大内宿まではだいぶある。歩けないことはないと思うが、バスかタクシーになりそう。

大内宿の名物は、ネギを丸々一本使ったそば。ネギを箸の代わりにして食べる、という異色の一品だ。もちろん、そのネギも食べられる。いろいろなお店で提供されているけど、人気があって早めに売り切れるので注意が必要。それにしても、ネギを丸かじりして食べるなんてこれが初めてだ。

明治時代初期に日本を旅行した英国人女性イザベラ・バードも大内宿にきた、という話だ。別に大内宿が目当てというわけではないはずだが。彼女の旅行記に何か書いてあるかな、と思って調べてみたが、かなり短めの記述しかなかった。いちおう引用しておこう*1

この地方は実に美しかった。これまでは連日、頂きまで森におおわれた山々が連なる中をたどり、山王峠の頂からは夕焼けで黄金色に霞み、この世のものとも思えない美しい群山を眺めたのとは異なり、もっと広々としたもっとすてきな景色だった、私は大内という村にある養蚕場・郵便局・内陸通運会社継立所を兼ねる家で泊まった。大名が泊まった所でもあった。この村は 周りを山々で美しく囲まれた谷間にあった。翌日は早朝に出発し、噴火口のような凹地にある公沼という小さな美しい湖の畔を通ったのち、市川峠に至る長々と続く大変な峠道を登って行った。…

まぁ、大内宿はそれほどたくさんの見どころがあるというわけではないので、2時間もあれば観光には十分な気もする。なお、今回の私の場合は一泊二日の小旅行で、初日は移動して、大内宿とその周辺を適当に散策して、湯野上温泉に宿泊。二日目は会津若松に移動して、会津城や日新館を見学して、帰宅、という感じ。会津に行ったのはこれがはじめてなのだが、中々の好印象。あと、大河ドラマ『八重の桜』を見返したくなった。

関連記事

*1:『完訳 日本奥地紀行1:横浜ー日光ー会津ー新潟』p.219f

アルキメデスの大戦

映画「アルキメデスの大戦」を見た。思うところは色々あるのだが、一つだけ。Yahoo映画のコメントを読んだところ、「イミテーションゲーム」のパクリでは、という感想を述べる人が何人かいたのだが、私自身は昔読んだ小室直樹『危機の構造』の次の箇所を思い出した。

戦艦「大和」ほど日本人のイマジネーションを刺激したものも少ない。…しかし、大和建造に関して、まだ社会科学的分析が加えられたことはないように思われるので、ここでは情報操作との連関において、この印象的な歴史的出来事についてコメントを加えたい。

戦後において大砲巨艦主義を嘲笑することは容易である。しかし、このような結果論は、責任ある歴史家や社会科学者を満足させないであろう。すなわち、ヤマト設計の統治のいて、大砲巨艦主義を否定すべきデータは何も存在しなかった。この場合、責任ある当事者として、それ以外にいかなる方針をとりあえたであろうか。航空機は、遠い将来においては戦艦より有力となるかもしれない。しかし、当時においては明らかにそうではなかった。では、(両者の優劣が転倒する)決定的時点はいつであろうか。このことについてはだれも予想しえなかった。ゆえに、この時点以前に開戦の時期を迎える可能性も考え合わせれば、当事者としては全く大砲巨艦主義を棄て去るわけにもゆかないであろう。そこで、日本海軍が実際に採用した国防政策は、結局、航空機、大砲巨艦併用主義であった。そして、歴史を詳細に検討すると、この政策は、考えうる最高のものではないにしても、諸外国の国防政策に比べれば、ずばぬけて賢明なものであることが判明した。

大砲巨艦主義の反対は、航空母艦主義ではない。小砲矮艦主義という名称はなかったが、事実において、このような傾向があったことは否定できない。ワシントン条約が失効して列強が新戦艦を建造した時、その主砲口径は、イギリスは14インチ、独仏伊は15インチ、アメリカは16インチであった。そして、実際、海上で砲火を交えてみると、やはり大砲巨艦は強い、ということであった。イギリスのキング・ジョージ5世級は、結局、ドイツのビスマーク級の敵ではなかった。チャーチルの『大戦回顧録』を読む者は、だれしも、いかに彼がこのことをくやしがっているか、ということについて深い印象を受けるであろう。

このように、大戦の初期あるいは考え方によっては大戦の中期ごろまでは、大砲巨艦の威力はまだ無視すべからざるものがあった。ゆえに、圧倒的威力を持つ18インチ砲艦大和、武蔵は、使い方によっては、どんなに大きな働きをしたことであったろう。しかし、われわれがここで強調したいのはこのことではない。海軍当局が、大和の建造に死力をあげつつも、その情報操作については全く思いも及ばなかったことである。

大和のような巨艦の建造は空前のことであり、海軍当局は全力をここに集中した。…その秘密管理も厳重をきわめ、さすがのアメリカ海軍情報部も、戦後にいたるまでその全貌を知りえなかった。しかし、このような死に物狂いの努力にもかかわらず、海軍当局は、情報操作の効果については、考えてみようともしなかった。

大和に関する厳重をきわめた秘密管理によって、アメリカ海軍は正確な情報が得られなかった。そこで、いろいろ考えたあげく、おそらくそれは16インチ砲戦艦であろうと推定した。その結果、新戦艦の主砲は14インチではなく16インチとした。これはまさにわが海軍の思うツボである、と思われようが、実はここに日本人的思考の限界がある。

わが海軍は、なにゆえに、大和の主砲について沈黙を守ることなしに、14インチである、と発表しなかったのであろう。もしそう発表すれば、それは相当の真実性をもって受け取られたであろう。わが国の全権は、軍縮会議の席上主砲の制限を14インチとすべし、と主張していたからである、現にアメリカすら14インチにしようとしていたのではないか。そうすれば、大和はアメリカの新戦艦に対して、合計4インチ得をすることになり、その圧倒的優位はますます動かないものとなったであろう。

このような情報操作は、厳重をきわめた秘密建造に比べればはるかに費用もすくなく、 しかもその効果においてはほぼ等しいものがある。それにもかかわらず、後者に関しては、気狂いじみた努力をはらった海軍当局も、前者に関しては考えてみようとさえしなかったのである。(文庫版pp. 85-88)

ここで言われているような情報操作にどのくらいの実行可能性があるのか私は評価できないわけだが、事実認識うんぬんは横におくとして、小室が第二次大戦の話をするときは、戦争に負けたのが本当に本当に悔しかったんだろうなぁという思いが伝わってくるのである。

ゆっくり解説動画

このところYouTubeでゆっくり解説動画を見るようになった。いろんな話題に関して、初心者向けで質の高い解説に手軽にアクセスできるので非常に助かる。ゆっくりボイスに拒否反応を示す人も多いけど、私は気にならないどころか、生声よりも落ち着いて聞けるように耳が調教されてしまった…。

いま気になっているチャンネルをリストにしてみる。どのチャンネルも登録者数がそれなりに多いので、YouTubeをよく見る人には大して役に立たないかもしれない(というか、面白い解説動画のチャンネルがあったら教えてほしい)。

  • tera sen - YouTube:江戸時代メインのチャンネル。ほのぼのした雰囲気がいい。家康から時代順に色々な話題を取り上げてくれるので、高校日本史の副教材になりそう。近現代に特化した姉妹チャンネルも面白い。
  • 樽之介 - YouTube:日本史のチャンネル。奈良時代の解説が特に厚い。妖夢が解説担当で、霊夢魔理沙は聞き役にまわっている。ややマイナーな話題も扱っているが、解説が丁寧で内容はディープ。

  • いおた - YouTube:日本史とくに室町時代の解説チャンネル。「関東民の関東民による関東民のためのゆっくり解説」は演出方法が斬新。

  • カカチャンネル - YouTube:経営史の解説。倒産した有名な企業にまつわるエピソードが楽しい。あと、毎回のように紹介されるお菓子が参考になる。

  • 咲熊 - YouTube:近世ヨーロッパの王室についての解説。ときどき日本や中国も取り上げられる。政治より人間模様の話の割合が多い。恋愛がらみだけで歴史を語れるんだ、という気付きを与えてくれる。うp主と霊夢のユニゾン突っ込みが心地いい。

  • アルノ - YouTube:ドイツ史のチャンネル。概要にはドイツ成分多めとあるが、ほとんどすべてがナチス幹部に焦点をあてる人物紹介。淫夢用語がよく使われる。

  • ノルトラント - YouTube第二次世界大戦の激戦を数多く紹介する動画。冒頭の「こんにちは。ゆっくり霊夢だよ」が可愛い。

  • PzFr「ぱんふろ」 - YouTube:ゲーム実況の中に隠れた「帆船の歴史」解説が秀逸。完成が待ち望まれる。

  • わいわい - YouTube:経営からみる大手私鉄の解説など。鉄道会社の回し者なのではないかと疑ってしまうほど詳しい。

  • 誰でもわかるコード進行・音楽理論講座 - YouTube:初心者向けの音楽理論講座。かなり基本的なところから解説してるので、学校の音楽の授業が嫌いな人でも大丈夫。

 

学問に王道なし

この警句のルーツについては諸説ある。

おそらく一番有名なのは、ユークリッドがエジプトの王プトレマイオスにそう言ったという説。この説は5世紀の新プラトン主義者プロクロスの『ユークリッド原論1巻への注釈』で述べられているという。しかし、プロクロスはユークリッドより7世紀も後の人物であり、証言としては新しすぎる。また、同じようなやり取りが、幾何学者メナイクモスとアレクサンドロスとの間でなされたという伝承もある*1。こちらの伝承の方が前であることから、プロクロスの説は信憑性が低い。

「学問に王道なし」はアリストテレスが若い頃のアレクサンドロス大王に言ったセリフであるという伝承もある*2。たしかに、アリストテレスは大王の家庭教師だったから、そんなこともあったのかもしれない。でも、こちらの伝承の典拠は何なのだろう*3

ちなみに、アリストテレスアレクサンドロスに関しては、「学問に王道なし」の他に次のような伝承もある。アリストテレスは、生徒のアレクサンドロスに慎み深さを説く一方で、アレクサンドロスの恋人から挑発されると、あえなく誘惑されてしまう。そのありさまをアレクサンドロスに目撃され、「先生、これはどういうことですか」と問われると、「私のような老いぼれでもこの有様だから、若い君はもっと気を付けなければならない」と言った、と*4。この伝承も信憑性は低いと思われるが、ちょっと面白い。 

*1:斎藤『ユークリッド『原論』とは何か』p.74

*2:孫子『歴史をたどる物理学』p.9

*3:学問に王道なし - Instrumentality

*4:ブラックバーン『哲人たちはいかにして色欲と闘ってきたのか』「序章」p.22f

パラドクスの効用

ラッセルのパラドクスは、パラドクスというよりも「ラッセル集合なんて存在しない」という趣旨の定理だという風に言われることがある。これは単に言葉の問題だと思うのだが、どちらの見方にも意義があると思う。

数学の基礎に関心のある哲学者なら、素朴集合論から矛盾が出てきてしまうのでどうしようか、という問題がラッセルのパラドクスだと考えると思う。対処策は包括原理を弱めるとか非古典論理に進むとかタイプ理論とか色々ある。

他方で、そんな多様な選択肢など相手にせず、ZF集合論一択でよかろうと決めてかかるなら、ラッセルのパラドクスは {x |¬x∈x} なんて集合は存在しない、という論理学上の定理とみなせる。これは有用な定理でもある。例えば、普遍クラスV = {x | x=x} なんて存在しないことを示すにあたって、ラッセルのパラドクスを利用する。Vが集合だと仮定すると、分出公理によって {x |¬x∈x} も集合だが、それはありえないので、Vは集合じゃない(QED)。これは単純な例だが、いろいろな固有クラスの非存在をラッセル集合の非存在に帰着させることで示すことができると思われる。

ある意味これと似たようなことは、停止問題を解くプログラムは存在しないという定理についても言える。ある問題を実効的に解くプログラムが存在しないことを証明する一つの方法は、もしそれが解けると仮定すると停止問題も解けてしまうことを示す、というものになるから。

ネガティブな結果のなかにポジティブな側面を見るといえば、ゲーデルの定理にもそういう側面がある。第二不完全性定理は、算術の無矛盾性を自分では証明できない、といえば悲観的に聞こえるが、逆にいえば、ある理論の無矛盾性を別の理論で証明できるなら、その別の理論はよい強いことになる。第二不完全性定理は理論間の強弱を測る道具となる。

例えば、ZF集合論でペアノ算術PAの無矛盾性を証明できるから、ZFはPAより強い。クワインの新基礎集合論NFの変種でNFUというのがあるが、これの無矛盾性はPAで証明できるので、NFUはPAより弱い(なお、NFの無矛盾性は未解決問題)。