Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

『ローカル女子の遠吠え』でいく静岡旅行

『ローカル女子の遠吠え』という四コマギャグマンガがある。このマンガは静岡のローカルネタを(自虐も含みながら*1)簡潔に、そして県外の人間にもわかりやすく伝えていて、とても面白い。女の子が可愛いだけのありきたりな四コマ漫画とは一線を画す、傑作だと思う(言い過ぎか?)。

私(東京在住)はこれまで伊豆を除くと静岡をほとんど旅行したことがなかったのだが、いい機会だと思って、このマンガをネタにして静岡を三泊四日ほど旅行してみた。適当にプランを組んだにしては結構楽しかった。

備忘録を兼ねたメモを以下に書いたので、興味を持った方は参考までにどうぞ。「委員長」(りん子さん)に引率されているような気分になるかも(ならない)。ネタバレを含むので未読の方は自己責任で。

*1:「しぞーか愛が止まらない、のぞみも停まらない」とか。

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ジジェクのチャーチル論

チャーチルの有名なパラドックス…民主主義は堕落とデマゴギーと権威の弱体化への道を開くシステムだと主張する人びとにたいして、チャーチルはこう答えた。「たしかに民主主義はありとあらゆるシステムのうちで最悪である。問題は、他のどのシステムも民主主義以上ではないことだ」。この発言は「すべてが可能だ。いやもっと多くのことが可能だ」という論理に基づいている。その第一前提は、「ありとあらゆるシステム」という全体集合を提示する。その中では問題の要素(民主主義)は最悪のように見える。第二前提によれば、「ありとあらゆるシステム」という集合はすべてを包含しているわけではなく、付加的な要素と比べてみれば件の要素がじゅうぶん我慢できるものであることがわかる。この論法は次の事実に基づいている。すなわち付加的要素は「ありとあらゆるシステム」という全体集合に含まれているものと同じであり、唯一の相違はそれらはもはや閉じられた全体の要素としては機能していないという点である。政府のシステムの全体の中では民主主義は最悪であるが、政治システムの全体化されていない連続の中には民主主義以上のものはない。したがって、「それ以上のものはない」という事実から、民主主義が「最良」であるという結論を引き出してはいけない。民主主義の利点はまったく相対的なものでしかないのである。この命題を最上級で定式化しようとしたとたん、民主主義の特質は「最悪」となってしまうのである。*1 

何を言ってるのか理解できないのだが、そもそもの元凶はチャーチルの発言を紹介するやり方にあるのではないかと思う。赤字部分の原文は以下。

"It is true that democracy is the worst of all possible systems; the problem is that no other system would be better." 

引用符つきになっているが、これは実際にチャーチルが言ったことの正確な引用ではないと思われる。 チャーチルは次のように言った。

Many forms of Gov­ern­ment have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pre­tends that democ­ra­cy is per­fect or all-wise. Indeed it has been said that democ­ra­cy is the worst form of Gov­ern­ment except for all those oth­er forms that have been tried from time to time.…*2 

「民主主義は最悪の政治形態である、これまで時折試みられてきた他のすべての政治形態を除けば」。これなら私でも理解できる。民主主義が完璧だとはだれも思っていないし、ひどい政治形態ではあるのだが、これまで試みられてきた他の政治形態はもっとひどいのだから、民主主義で我慢するほかない。民主主義よりよい政治形態がたくさんあり「うる」けど、そんな政治形態を我々は未だ知らない、といったところか。凝った表現だが、別にパラドクスでも何でもないと思う。

*1:『斜めから見る』pp.62-63, cf. 『イデオロギーの崇高な対象』pp.13-14

*2:"Democracy is the worst form of Government..." - Richard M. Langworth

ブール代数の公理系

ブール代数の公理系についてのメモ。論理学の本では、束→分配束→ブール束という順番で公理系を強化していくが、新たに公理を付け加えたことで、中には冗長になる束の公理もあるらしい。ハンティントン(1904年)の公理系は

  • 同一律 identity
  • 交換律 commutativity
  • 分配律 distributivity
  • 補元律 complements

の四種類の公理から成る。吸収律absorptionとかベキ等律idempotentとか結合律associativityなどはすべて、これらの公理から証明できるのだとか。詳しくは以下を参照。

他にもいろいろな公理化の仕方があるみたいだ。ハンティントンの等式Huntington equationというのを使うと、結合律と交換律を合わせた三つだけで済むのだとか。記号の数もintersectionがいらなくなって二つで済むようだ。

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マンフォード『因果性』『形而上学』

最近翻訳されたスティーヴン・マンフォードの本2冊を読んでみた。

哲学がわかる 因果性 (A VERY SHORT INTRODUCTION)

哲学がわかる 因果性 (A VERY SHORT INTRODUCTION)

 
哲学がわかる 形而上学 (A VERY SHORT INTRODUCTION)

哲学がわかる 形而上学 (A VERY SHORT INTRODUCTION)

 

どちらもコンパクトに要点が纏まっていて悪くない本だと思う。どちらかと言われれば、個人的には『因果性』の方がお薦め。『形而上学』の方はちょっと退屈だった(個人の感想です)。それと、時間の章(6章)で、現在主義は特殊相対性理論と緊張関係にあるという有名な問題を紹介する箇所が問題アリの記述になってるようだ。私の理解する限りでは、慣性系によってどの点とどの点が同時であるのか変わりうるから特権的な現在を選ぶことなどできまい、というのが(かつてパトナムが指摘した)問題なのだが、マンフォードの書き方だと、光速度が有限で伝播に時間がかかるというだけのことから現在主義に問題が生じるかのようになっていて奇妙、ということだと思う。訳者たちはカッコで文言を補いまくって説明が適切になるように仕立て直している。この力業には驚いた。現代形而上学に不信感を持っている人は「現代形而上学、やっぱダメみたいですね」と言いたくなるかもしれないが、こういう風に自浄作用がちゃんと働いているのは良いことだと思う(訳者たちも現代形而上学の研究者だし)。

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タブラ・ラサに関するメモ

そこで、こころというものは、いわばなんの刻印もなく、どのような観念ももっていない白紙である、と想定しよう。 

この有名な一文は、ロック『人間知性論』2巻1章2節にある。ロックは「白紙white paper」と書いている。熊野純彦によると*1

ラテン語で「白板tabula rasa」と呼び変えたのは、ライプニッツである(『人間知性新論』「序文」ほか)。 

ただし、邦訳の『人間知性論』1巻解説(p.317)によると、このラテン語表現はガッサンディも用いていたし、ロック自身も『知性論』の二つの草稿で用いていて*2、当時の知識人にとってはおなじみの用語だったようだ。

おなじみの用語であるからには、中世あるいはひょっとすると古代にまで遡るような伝統をもつ概念を指している可能性が高い。再び、熊野純彦によると

ストアの認識観は、一般的にいって経験論的な色彩の強いものであった。「ストアのひとびとの語るところによれば、人間は生まれたとき、たましいの主導的な部分を書きこみのためによく整えられた白紙として所有しており、個々の観念をここにみずからひとつひとつ書きこむという」(『断片集』第2巻、断片83-白紙という比喩は、一方ではおそらくアリストテレスに由来する(『デ・アニマ』第3巻第4章)。他方それは、いくつかの屈折を経て、イギリス経験論の雄、ロックによる「白紙」の比喩にまで流れ込んでゆくことになる*3 

「いくつかの屈折を経て」の内実は、英語版のwikipedia

が割と詳しく書いてる。

白紙・白板の比喩がアリストテレスまで遡れるということは、アリストテレスとロックが心というものを全く同じように考えていたということを意味しない。古代・中世の哲学で白紙・白板になぞらえられているのは受動知性(可能知性)であって、知性には能動知性という別の側面もあるとされる。坂部恵の整理によると、知性intellectusの概念から能動知性を落として受動知性へと切り詰めたことが、ロック的な知性understandingの概念につながった、とのことだ*4

受動知性は、経験から獲得した概念や知識の貯蔵庫のようなものとしてイメージしておけばよさそう。生まれた時点では何も貯蔵されてないから、白紙・白板ということなのだろう。なお、現代の心理学では「記憶」にも色々な種類があるとされるが、ここでいう知性と関係する記憶は「意味記憶semantic memory」とか呼ばれてる。他方、海辺に連れて行ってもらったことを覚えているといった過去の記憶(エピソード記憶)は、知性ではなく想像力の働きと関連づけられる。

受動知性と比べて、能動知性の概念は分かりづらい。物体を見るために必要な光に喩えられることが多いが、大まかには、感覚経験から抽象的情報を獲得するために人間が持っている能力、という風に理解しておく。「人間が持ってる能力」というところがミソである。ほかの動物は感覚能力に関して人間と同等だが知性を欠くので、物質的対象について抽象的思考をめぐらしたり、知識を獲得することができないとされる。

能動知性は言語をマスターする能力と密接な関係にあるので、アンソニー・ケニーはこれをチョムスキーの生得的な言語獲得能力と比較している*5。子供が言語断片から驚異的な速さで文法を獲得することは、何か特異な能力を仮定しなければ説明がつかない。それと似て、自然界の質料的条件から概念を抽象するための能力は感覚能力とは別個の能力を仮定しないと説明がつかない、これら能力はどちらも人間という種に特有である、といったところだろうか。

*1:『西洋哲学史 近代から現代へ』p.40

*2:ロック自身は"rasa tabula"と書いたらしいが。

*3:『西洋哲学史 古代から中世へ』p.123

*4:『ヨーロッパ精神史入門』p.87

*5:トマス・アクィナス心の哲学』4章

White Album2 アニメ版

原作のゲームをプレイした勢いで、アニメ版全13話も視聴してみた。原作でいうIntroductory chapterのアニメ化になっている。全三部のうち、私自身はIntroductory chapterが一番気に入っているので、これでいいと思う。続編は別になくていい。

アニメ版の最大の長所は、動いている冬馬かずさを見られることにある(異論は認める)。スタジオで布団を敷いて寝こんでるところなど、原作では一枚絵がなかったシーンなどもちゃんと描かれてる。でも、原作からの細かな改変が多くて*1、気に入っていた or 印象に残ったセリフが削られていたのは残念。

最初の2,3話はとにかくテンポが速かったように思う。これだと、初見さんは置いてけぼりをくらいそう(といっても、話の構図はシンプルなので、何が起こってるのか分からないなんてことにはならないだろうけど)だし、原作をプレイした人は余韻を楽しめないつくりになってる…。この段階で見限った人も結構いるのではないかと恐れる。それに、ヒロインたちのデレデレっぷりが序盤から目につくのもいただけない。原作では主人公視点のため、そこまであからさまじゃなかったと思う。

ただ、メンバーがそろって学園祭への準備が本格的に始まるあたりになると、余裕がでてきたのか、ペースも落ち着いて描写も丁寧になってきたように思う。特に、かずさ視点で話が進む10話と11話「雪が解け、そして雪が降るまで」は初回限定版のノベル(未読)が基になっているようだ。ここはよかった。結局、13話では微妙に短すぎたということなのだろうか。

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*1:後でwikipediaを読んでみたら、PC版ではなくプレステ3版に依拠していることが分かった。

White Album 2

White Album 2』(Leaf 2010-11)をプレイしたので、感想を書いてみる。以下WA2と略。ネタバレはほとんどないと思うが、気にする方は注意。

WHITE ALBUM2(「introductory chapter」+「closing chapter」セット版)

WHITE ALBUM2(「introductory chapter」+「closing chapter」セット版)

シナリオの評価が高いことは前から知っていたので、いずれプレイしたいと思っていた*1。もう発売から結構時間が経ってしまったが、ずっと積んだままになっていた。クリアまでに結構時間がかかるとも聞いていたので及び腰になってたところもある。ゆっくりでいいから時間を見つけて読もうと思ってたが、いざはじめてみると睡眠時間を削って最後までやってしまった…。熱狂的なファンがいるのも分かる。聖地巡礼ストラスブールにまで行ってロケ地の写真を撮ってるファンもいるみたいだ。マップまで作られてる、凄いなぁ。

ストラスブールというと、科学史に興味のある私は天文時計を見てみたいと前から思ってたのだけど、WA2をプレイしたことで見学したい場所が増えてよかった。訪問できるのはいつになることやら分からないが…。

WA2のシナリオライターLeafと特に関わりないと思うのだが、ファンサービスが多く好感が持てる。前作のWAや「痕」「Routes」など、Leafの過去作品の楽曲のアレンジがBGMに使われていたり、音楽室に入るときの合言葉が「ここがあの女のハウスね」だったり。

さて、WA2は、Introductory Chapter, Closing Chapter, Codaの三部構成となっている。それぞれ、高校3年目の冬、大学3年目の冬、社会人1年目の冬に対応している。ただし、Introductory Chapterは一本道で、選択肢が出てくるのはClosing Chapterからとなる。主なヒロインが二人いて、主人公との三角関係が(トータルで5年に及ぶ)三部を貫くテーマになっている。

まぁ、そんなわけでヒロインが二人いるわけだが、私の好みは断然ピアニストの冬馬かずさ! 残念ながら、シナリオライターは雪菜推しなのだが。かずさの扱われ様は不遇であり、テキストを読んでいて大変心苦しい。ヒロインの二人はたしかにどっちも重い女だけど、雪菜はそういう次元を超えていて、ちょっと気持ち悪くて引くレベル(雪菜ファンには申し訳ない)。

要所要所の選択肢は結構よくできてると思うが、落とし穴が一つ。Closing Chapterでかずさの母親のコンサートを聴きに行くかどうかの選択肢が途中で出てくる。ただし、「行く」という選択肢は灰色になっていて選べない。どういうルートを通ればこの選択肢を選べるのか本気で調べたのだが、どうしても分からず…。泣く泣く攻略サイトを見たら「これはダミーの選択肢」と書かれてて、思わずブチ切れてしまった。

それはともかく、Closing Chapterではかずさがほとんど登場せず、Codaのかずさルートはライターのやる気が感じられない。それに、Closing Chapter と Coda は冗長なところも多かったように思う。というわけで、私的に一番印象がよかったのはIntroductory Chapterということになる。学園祭までのテンションの高い描写がいいなぁと思った。Codaの雪菜true endの終盤よりこっちのがいい…。

ところで、メインヒロイン(注:確定記述)の冬馬かずさはピアニストなので、Introductory ChapterとCodaではクラシックの曲が数多くつかわれている。母親から主人公への恋心をからかわれ、顔を赤らめながらチャイコフスキーの「葦笛の踊り」(『くるみ割り人形』)を練習するかずさ、かわいい!

amazonで検索して気づいたけど、かずさが弾いたクラシック曲のCDなんかも発売されてるようだ。でも、これはアニメ版に準拠しているためか、ゲーム版で使われてるクラシック曲を全部カバーしてるわけではなさそう。さっき言及した「葦笛の踊り」とか、ショパンの「英雄ポロネーズ」、シューマンの「ピアノソナタ2番」などなど…。

TVアニメ WHITE ALBUM2 かずさクラシックピアノ集

TVアニメ WHITE ALBUM2 かずさクラシックピアノ集

まぁどうせ音しか収録されてないのだから、もっと有名な演奏家のCDを普通に聞けばいい気もするけど。

冷淡なことも書いてしまったが、結論としては、多少の難点はあるにしても十分楽しめるゲームだった。ちなみに、三角関係がテーマだから、ということもあってか、プレイ中しばしば『君が望む永遠』のことを思い出していた。時間だけが残酷で優しい。今はとてもつらい心の傷も時間が経てばきっと癒える…という希望がある『君望』と、そういう希望をあまりもてそうにない『White Album2』、みたいな比較ができないだろうか。 

*1:「2012年にAmazon.co.jpで行われた「Amazon.co.jpアダルトPCゲーム ベストオブシナリオコンテスト2010-2012」の投票で、『WHITE ALBUM2』(「introductory chapter」+「closing chapter」セット版)が1位を受賞している」丸戸史明 - Wikipedia