Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

意味論的パラドクス

嘘つきのパラドクスは「意味論的パラドクス」などと呼ばれる。真理は意味論的な述語だからそう呼ばれるのだけど、意味論的な述語は真理だけではないので、例えば、次のような意味論的パラドクスもある。 

1 = 1

したがって、この論証は妥当ではない。

論証が妥当だと仮定すると、1=1という前提が真である以上、結論は真のはず。しかし、結論が真なら、この論証は妥当ではない。よって、仮定は間違いであり、この論証は妥当でない。ところが、ここまでの論証は、まさに1=1という前提のみに依拠して当該の論証は妥当でないと正しく結論づけているのだから、むしろ、この論証は妥当であるはず…。

この議論はザクセンのアルベルトゥスという14世紀の論理学者に由来するようだ(ただし、オリジナル版では前提が「1=1」ではなく「神は存在する」となっている)。聞いたことのない人だったので、山内志朗『普遍論争』付録の事典で調べてみた。 

ほぼ同時期に活躍したビュリダンに比較しても、独立にみても研究は進んでいないが、スコラ後期の論理学者としてかなり重要な位置を占め、その『論理学』は、14世紀の論理学所としては最も洗練されたものの一つとみなされる場合もある。 

ネットでも多少調べてみたところ、どうもビュリダンの弟子らしい*1。ビュリダンといえば、彼は一風変わった神の存在証明をしている。まず、二つの文を提示する。

神は存在する

これら二つの文のどちらも真でない 

これを整合的にするには、「神は存在する」が真でなくてはならない、という論法だそうだ*2。しかし、この論法がアリなら、別に「神」じゃなくてもなんでもいいと思うんですけど…。

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