哲学において特定の立場や見解を表現するとき、大きく分けて、「〇〇論」という場合、「〇〇主義」という場合、「〇〇説」という場合の三種類があるように思う。具体例としてはこんな感じだろうか。
- 〇〇論:唯名論、観念論、唯物論、二元論、イデア論、独断論、独我論、機械論、原子論、全体論、社会契約論
- 〇〇主義:現在主義、三次元主義、可能主義、本質主義、直観主義、反証主義、行動主義、表象主義、選言主義、基礎づけ主義、功利主義、認知主義、内在主義、還元主義、全体主義、マルクス主義
- 〇〇説:想起説、永遠真理創造説、五分前創造説、対応説、トロープ説、束説、段階説、規則性説、意味の使用説、知識の因果説、志向説、思考の言語説、認知的閉鎖説
「〇〇論」は特定の立場や見解というより、分野全体の名称としても使われる。「存在論」「認識論」「因果論」など。
あまり自覚したことはなかったが、「〇〇論」という用語は由来がだいぶ古そうだ。勝手な想像だけど、西洋哲学が輸入されはじめた19世紀後半から20世紀初頭に造られた言葉、といった印象だ。英語で "-ism" という語尾の表現は、最近だと「〇〇主義」となることが多いように思う。まぁ「功利主義」や「マルクス主義」は他の用例よりも古そうだけど。"view" ないし "theory" は「説」と訳すのかな。「理論」と訳す場合もあるだろうけど。
上のリストは思いつくままに並べただけなので、反例にみまわれる可能性が高い。例えば、確率の frequentism は「頻度説」と訳すことが多いように思う。
定訳がない場合もある。自由論の "compatibilism" は「両立論」「両立主義」「両立説」のどれも見かける。"-ism" は「主義」と訳すのが最近の傾向、という仮説でいくなら、「両立主義」が正しい、と言えるだろうか。"skepticism" についてはどうだろう…。
"empiricism" は「経験論」と「経験主義」のどちらも見かけるが、これらは微妙に使い分けられている気がする。ロックなどイギリスの哲学者のおおまかな考え方のようなものを「イギリス経験論」とか言ったりするのかな。
「全体論holism」と「全体主義totalitarianism」は原語が違うので、訳しわけ使い分けるべきなのだろう。まれに混同する人がいるけど*1。
…などということを、つらつら考えていたら、次のようなページを見つけた。
科学哲学者たちが「進化論」という用語を使うことに違和感がある.何故遺伝や生態についての研究分野は「遺伝論」とか「生態論」とよばないのにもかかわらず,進化にだけは「進化論」という用語を使うのだろうか.「○○論」には一般的な語感として,証拠もなしに自由に論じていいものだという含みがあるのではないだろうか.きちんと「進化生物学」,せめて「進化理論」という用語を使うようにして欲しいものだ*2
コメント欄もこの話題で盛り上がっている。進化生物学者が「進化論」という用語を嫌っているという話は全然知らなかったので、これはちょっとした驚きだった。ただし、科学における用法は上の考察の範囲外なので、ここではコメントを控える。