Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

反事実条件法と歴史

最近、アメリカのドラマ『ビッグバンセオリー』を見ている。知らない人のために、wikipediaから「あらすじ」を引用しておく。

2人合わせたIQが360という二十代の仲良しオタクコンビ、レナードとシェルドンはカリフォルニア工科大学の物理学者。カリフォルニア州パサデナにあるアパートで同じ部屋に住むルームメイト同士でもある。2人揃って頭脳は明晰で、博士号を得るほど賢いが、どうも世間からズレていて友人もみんな変わり者。しかもルックスがイマイチなので女性にモテる気配もない。そんな2人の部屋の向かいにある日、キュートなブロンドの独身美女が引っ越してきたことから始まるコメディ・ドラマ。

シェルドンの発言には教えられる(?)ところが多いので、しばらくこのお店でもシェルドンの発言を切り口にして記事を書いてみようかと思った。とりあえず最初のネタは、科学と関係ない話題から。[注:エイミーはシェルドンの彼女的ななにか]

Sheldon: All right, I’m ready for my next question.

Amy: In a world where rhinoceroses are domesticated pets, who wins the Second World War?

Sheldon: Uganda.

Amy: Defend.

Sheldon: Kenya rises to power on the export of rhinoceroses. A Central African power block is formed, colonizing North Africa and Europe. When war breaks out, no one can afford the luxury of a rhino. Kenya withers, Uganda triumphs.

Amy: Correct. My turn.

Leonard: What the hell are you guys playing?

Sheldon: It’s a game we invented. It’s called Counterfactuals.

Amy: We postulate an alternate world that differs from ours in one key aspect and then pose questions to each other.

Sheldon: It’s fun for ages eight to eighty. Join us.*1

「サイが家畜になっているような世界では、どの国が第二次世界大戦の勝者だっただろうか?」という反事実的な問題に対して、シェルドンは奇妙な理屈で「ウガンダ」という答えを正当化する。あまりに突拍子もないので、そこが笑えるわけだが。

歴史にifを問うことは意味をなさないとか、少なくとも実証的な歴史学にはふさわしくない、といった忠告をよく耳にする*2。反事実的な問題を好き勝手に立ててしまうと、客観的な答えを与えようのない問題が増殖してしまう、といった懸念があることは、上のようなやり取りを見るだけでも理解できる。

しかし、個人的には、歴史学はifの問いを扱わないといった紋切り型の忠告には昔からいまいち納得できないでいる。例えば、実証的と称する歴史学者も因果性を語ることはあるのではないか。こういう出来事が原因となってそういう出来事が起きました、みたいな。もしそうなら、因果言明と反事実的条件法の間には繋がりがありそうなので、因果言明だけ認めて、反事実的条件法を全面的に拒絶するのは辻褄があわない、というのが私の印象である。どんな繋がりがあるかといえば、まず考えられるのは

  • 出来事cが出来事eを引き起こす ⇔ cが起こらなかったら、eは起こらなかったであろう

といった定式化である*3。これには色々な反例があるのだが、それでも右→左方向の含意関係が成り立つという主張はけっこう手堅いのではないか、と思われる。そういうわけなので、ifを問うな、と言い切るのはよくなくて、慎重になれ、という程度で済ませるべきではないか、と思う。

*1:Series 04 Episode 03 – The Zazzy Substitution | Big Bang Theory Transcripts

*2:歴史に「もし」を問うのは未練がましく思っている人の寝言のたわごとだという意見が、E.H.カーの『歴史とは何か』邦訳pp.141-144にある。

*3:古くはヒュームにさかのぼる定式化。