Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

『論考』あれこれ

伝記とかを読むと、ウィトゲンシュタインの知人には絶対なりたくないなと思うけど、それを横においておくとしても、彼は(用語法とか表記法に関して)あまり一貫性のない人だなと思うときがある。「原子命題」(ラッセル)といわずに「要素命題」とわざわざ言い換えるとか…。

あるいは、操作の表記法。5.2521節では`operation'の`O'(ラテン文字)だけど、6.02節ではΩ(ギリシャ文字)が使われている。ただ、これには一応理由がある。操作を全く適用していない基底を書くときに「O0x」では不恰好だから。しかし、ギリシャ文字を使ったがために、数変項もラテン文字`n'ではなくギリシャ文字`ν'を使う破目に…。

それと、ab関数。何故`ab'なの?? 『論考』ではWFだけど(真Wahrと偽Falsch)。
ab関数は『論考』に登場するアイデアの中では、あまりメジャーな方ではない。考え方は真理表と大して違わないけどね。「意義Sinn」が方向というニュアンスも含んでいるというドイツ語特有の語法に依存するところがあるからだろうか。

しかし、逆にそれに眼を奪われて[?]妙な間違いをしている人もいる。

命題pを否定するとどうなるのか。否定命題(〜p)は、pを真とした事実を偽とし、pを偽とした事実を真とする。それは「WpF」に対して、否定命題(〜p)を「FpW」とすることである(6.1203)。*1

せっかく6.1203節をリファーしているんだから、ちゃんと引用すればいいのに。命題pの否定は「F-W-p-F-W」だと思う。要は、pがWのときFで、FのときWということを表現するだけ。

Postscript (2014/4/1)

真理関数といえば、野矢茂樹ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』を読む』p.126は、ちょっと面白いことを言っている。

『論考』は「矛盾からは任意の命題が帰結する」という論理法則を採用しない体系なのである

つまり、『論考』は矛盾許容論理(paraconsistent logic)だということである。後年のウィトゲンシュタインは、公理系の無矛盾性証明に興味を示さなかったことで知られる。なぜなら、矛盾はたいした厄災ではないと考えたからである。野矢の『論考』解釈が正しいとすれば、ウィトゲンシュタインは終始一貫してることになるので、とても興味深い。