Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

世界史の哲学:近世篇

今日は、大澤真幸の新刊『世界史の哲学 近世篇』をぱらぱらっと見てた。うーん…。

大澤曰く。通説では、近代科学は言葉(聖なるテクスト)による論証を事実による論証に置き換えた。しかし、ガリレオによれば、科学とは宇宙と言うわれわれの眼前につねに開かれた偉大な書物を読むことなのであり、実験や観察はそのテキストを読むことだ。よって、事実による論証も一種の言葉による論証である(p.145f)。正直、これは単なる言葉遊びのペテンにしか見えない。こんなのばっかだな…。

科学革命の時期は経験に対する疑いが増した時期でもあったとしてデカルトの懐疑を傍証として挙げているのだが、これに関しても色々疑問がある。たしかに感覚は明晰判明性が低いとされている。とはいえ、デカルトは2+3=5のような算術の真理さえ疑ったのだから疑われているのは知覚経験だけではないのでは?いちどは徹底的に疑うものの最終的に神の誠実さを根拠にして懐疑を解除していくでは?などなど。

デカルトといえば、渦動説に言及している箇所で、難点として定性的であることと、地球をはじめとする天体は球形なので重力は球対称にはたらくだろうけど渦動説は回転軸の周りに軸対称になるので重力を説明できない、といったことが言われてる(p.416)。一つ目の批判はその通り。二つ目の批判は渦動説が重力を説明するための仮説であるならあたってると思うけど、それでいいんだっけ?個人的には、ハレー彗星みたいに逆行軌道の天体がある、とかそういうやつの方が分かりやすい反例だと思う。

結論としては、本屋で軽く立ち読みして、棚に戻すのがいい本だと思った(小並感)。

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