Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

月距法

最近、歴史が面白いと思えるようになっていて、色々と啓蒙書を読んでいる。次の本はユニークで面白いと思った。 

世界の歴史〈12〉ルネサンス (河出文庫)

世界の歴史〈12〉ルネサンス (河出文庫)

 

14-16世紀あたりのイタリアを中心に、興味深いエピソードを沢山紹介している。博識のおじさんの話を聞いているようで、純粋に楽しい。単に昔の話をしているだけでなく、現代とのつながりを意識させるような話題もある。例えば、北イタリアと南イタリアの鉄道網を見比べると、前者は直線的なのに、後者は蛇のようにクネクネしている、それはなぜか。こうした謎を解くには、かなり昔に遡らなければならないのだね。

中世後期とルネサンスを連続的にとらえる見方が20世紀になって流行るのだが、著者はそういう方向にはやや背を向けていて、いややっぱりルネサンス期には中世とまったく異なる合理的な精神が登場したんだ、些細な例外事象にまどわされてその断絶を見失ってはいけないんだ、といったスタンスを打ち出してる。このスタンスはプロローグでとりあげられるエピソードによって説得的に示されてる。13世紀の植物図鑑と14世紀の植物図鑑を比べると、前者はとうてい実在すると思えない化け物が描かれてるだけだが、後者ははるかに写実的になっている、とか。画家のジョットは、ヨセフが不安になった理由を、妻がいったい誰の子供を宿したのかと疑問に思ったから、と述べたのだが、こんなジョークはそれまでは到底言えなかった、など。 

話題の取捨選択には、著者の好みによるバイアスがかなりかかっている。

フィツィーノ、ピコ・デラ・ミランドラなどの哲学者、ポリツァーノなどの詩人については、わたしは、もはや何の興味ももてない。もうしわけないがこういう人びとの話は割愛させていただいて… p.136

わたしはエラスムスやトマス・モアはどうもそれほどえらいとは思えない。本当の人文主義者として群を抜きひとり聳えるのは、16世紀のフランスの人モンテーニュである。p.141 

このような書き方は、ふつうの学術書では考えにくいほど主観的といえる。ここまで露骨に価値判断をもちこむことは、普通ないと思う。とはいえ、こういう風に主観が入ってることで文章にある種の勢いとか味わいが加わってるのは間違いない。本書は専門書ではないので、別にいいと思う。個人的に、著者の趣味もいいと思っているし。ただ、註で参照してる文献を示してくれてたらよかったとは思う。そこは本当に残念。

残念ついでに、疑問に思った記述も指摘しておく*1。アメリゴ・ヴェスプッチが月距法でベネズエラの経度を測ったという(本当なら)素晴らしいエピソードを紹介してる箇所である。

アメリカ大陸の名のもとになったイタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチは、1499年、ベネズエラを発見した際、天体を観測して、8月23日の夜の月と火星との合が6時半だったことを知った。ところが、かれがもっていたレギオモンターヌの航海暦(1473年発行)によると、これはドイツのニュールンベルクでちょうど零時に見られると予測している。そうだとすると、このベネズエラはニュールンベルクより5時間半だけ西へ寄っていることになるはずだ。経度は御承知のように15度につき1時間の時間差がある。アメリゴ・ヴェスプッチはニュールンベルクとベネズエラは32度半の差があると計算したのである。

この観測はみごとなまでに正しかった。p.160

この箇所はいろいろ変だと思う。経度は15度につき1時間の時間差がある(360÷24 = 15)のなら、32度半の経度差だと2時間ちょっとのズレしかもたらさないはず。少なくとも32度半というのは誤植だろう。

をみると、マラカイボ(ベネズエラ)が西経71.38度、ニュルンベルクが東経11.04度なので、その差は82.42度である。15で割ると約5.5なので「5時間半」という記述と整合する。でも、そもそも零時と6時半の差って5時間半じゃないと思うのだが、それは大丈夫なんだろうか…。

*1:ただし、私が読んだのは上でリンクをはった文庫版ではないので、以下の指摘が文庫版では修正されてる可能性はある。あと、ここでのページナンバリングは文庫版とはたぶんズレてるのでご注意。