Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

探偵小説の様相論理

ネタにしやすい本を教わった。

探偵小説の様相論理学

探偵小説の様相論理学

 

「探偵小説と様相論理」と題された第二部だけパラ見してみたが、これはちょっと酷いとかを通り越して可哀想になってくるレベル。20歳前後の哲学科の学生が書くならわかるが、40歳過ぎてこれを書くか…。とりあえず、奇怪な箇所をいくつか紹介してみる。本当はこんなもんじゃすまないだろうけど。

述語の真偽判定だけでなく、主語の稼働範囲を措定するスコープ―「量化」と呼ばれる―論理形式のファクターとして導入したことがフレーゲの功績であり p.138

述語は真理値をもたないし、スコープがなぜ量化なのかもよく分からない。

ラッセルの固有名論への反駁としてクリプキが例に挙げているのは、たったひとつの確定記述でその固有名が決定されるという極端な事例であって p.145

じゃあなんで「アリストテレス」とかを例にしてるんですかねぇ…。

アリストテレスはカタカナ七文字である」という命題は真であるのに「アレクサンダーの家庭教師はカタカナ七文字である」は偽である。…様相論理をとりいれて、主語の稼働範囲を措定して、この事態を説明しようとする様相論理学派に対して p.176

いや、さすがにこのケースはすべての哲学者が引用符によって指示的に不透明な文脈が作られていると言うんじゃないかな。

ルイスは「分身論と量化された様相論理」(1968年)という論文で p.187 

「分身論」は"counterpart theory" の訳のようだが、2ページ後では「対応者理論」と書いている。著者は自分が何を論じているのか分っていないのだろう。

次の箇所は傑作の一つだと思う

クリプキは論文「真理論の輪郭」(1975年)において、真理を決定するために発語者の立ち位置を見定める必要があるという内容を述べている。クリプキが言う「モナド的な述語(monadic predicate)」はその解釈が部分的にしか規定されず、そのままでは真偽を明確に決められない場合がある。クリプキは、タルスキのメタ言語論を参照しつつ、発語者の「固定点(fixed point)」を決めなければならないとした。要するに、ある発言をした者をひとつのモナドとみなしたとき、その発言をうけとる側が別のモナドにいたとしたら、発語者にとって真である命題が、うけとる側には偽になってしまうことがありえる。p.214f

クリプキのそんなテクニカルな論文読んだことないけど、"monadic predicate"はどうせ単項述語で、"fixed point"は不動点だろうと思う。

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