もうだいぶ時間が経ってしまったけど、先月の報道ステーションで放送された橋下大阪市長と北大の山口教授の対談が話題になった。私がこれを録画で見たときは、まだ放送直後だったので、世間で話題になるとは思ってもなかった。しかしAERAで取り上げられたり、山口が内田樹たちと共著で出版したネガティブキャンペーン本がAmazonでボロクソに叩かれているのを見て、テレビの影響力はすごいとつくづく思った。
正直言って、あの対談についてどう考えたらいいのかよく分からない。私は大学に籍を置いている人文系の学生で、学問に対してそれなりに誇りを持っているので、学者に対して容赦ない罵詈雑言を浴びせる橋下には正直なところ全く好感をもてないのも事実だ。でも、ディベートとして見れば、しゃべった量、内容のクリアさ、切り返しの早さなど、様々な点で橋下が圧勝なのは間違いない。山口は火だるまという感じ。
加えて言えば、山口のだらしなさには少々呆れるところがある。彼はそもそも政治学の専門家であって教育の専門家ではない。でもテレビに出演するからには充分に勉強していなければならないが、残念ながら不勉強という「印象」を与えることに終わった。いま「印象」と言ったが、好印象を演出するという戦略が彼からは全く感じられない。例えば、
- いくら政治学の主流の立場とはいえ、テレビの前で愚民観を持っているとほのめかしては駄目でしょう…。
- 番組放送後のtwitterへのツイートとかも…。往生際の悪いという印象しか与えないのでは…。
というわけで、心情的には山口にエールを送りたいのに失望させられたので、自分で少しは本を読むことにした(まぁ私はただの哲学の学生なので、政治とか教育には無知なのだけど)。
しかし、考えようによっては、ディベートで橋下は圧勝している以上、更に何か言うことがあるのかという疑問が生じるかもしれない。この点に関しては、まずノージックのコメントを引用しよう。
子供は、議論には荒げた声、怒り、そして拒否的感情がつきものだと考えるだろう。議論とは、相手を言語的に小突き回そうとすることである。しかし、哲学的議論とはそのようなものではないのではないだろうか*1。
でも、仮にこの点に関して橋下と山口のディベートが多少子供じみたものに見えるとしても、それがどうなのかと反論されうる。橋下は山口よりもクリアに議論を組んでいたのだから、何も問題ないのではないか。
まぁもしもここまで詰め寄る人がいるとすれば、私もそろそろ本音を吐かねばならない。すなわち、「哲学者パルメニデスの
ところで、橋下に何らかのイデオロギーを読み取るのは無意味だという池田信夫のような人がいる*3。この点に関しては、2つの理由で判断を保留したくなる。
- 国力が衰えてくると(実際に問題があるかどうかとは別にして)教育制度に文句をつけるポピュリストは必ず現われる。
- 君が代を半強制的に歌わせるとか、イデオロギーに無関係と言い切れない領域に手を突っ込んでいること。
池田信夫は山口が「変化を拒む社民イデオロギー」に毒されていると言う。そうなのかもしれない。しかし、これは本当に素朴な疑問なのだが、批判者は必ず代案を出さねばならないというのは常に正しいのだろうか。
ここで「社民」と名指されたように、旧社会党は与党の批判だけして積極的な代案を提示しないという評判だった[という話をよく聞く]。確かに、何らかの正当な目的のためではなく、自分のアイデンティティを守るためだけに批判だけする活動家が、「理由なき反抗rebel without cause」として軽蔑されるのは尤もなことではある(例:捕鯨反対運動の過激派など)。とはいえ、学者のコミュニティの中では、一見説得的な議論に対してシャープな批判をする人はそれだけで賞賛に値しうる。
(まぁあの番組内で山口がそれをやったかといえば、間違いなくやってないけど)
ところで、どちらかといえば山口に味方する私は、既存の教育[制度]*4に満足しているかといえば、あまりしてない。ただ、その理由は教育委員会制度が気に食わないというよりは*5、むしろ教育内容が気に入らない。
このタイプの批判から出てくる最も良質の代案は、藤原和博・宮台真司両氏によるテキストで説かれているような内容を積極的に教えるべきだというものだと思う。私はそれに全く賛成なのだが、それ以外に付け加えることがあるとすれば、例えば、少なくとも高校の生物と倫理の教科書の内容は時代遅れでないかと言いたくなる。本来は中核にあるべき(まぁこれには論争の余地が結構あるけど)進化生物学に対する比重が小さいのではないかとか、宗教に関する記述はめっちゃ歪んでるよねとか、大学で勉強していれば誰でも思うことだが。
まぁ、この種の改革は現場への負担が大きすぎてまず実現しないけど、現場の教員はちゃんとマジになって勉強しているのかという点については、懐疑派の意見にも聞くべきところがあるのだろう。
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小河勝委員(大阪樟蔭女子大非常勤講師)は、連続で最低の人事評価を受ければ免職も含む処分対象になる条文を批判した。「1人の不登校児を相手にするのも、教材を作るのも、教員が助け合ってやっている。個々人をバラバラに評価する手法は現場の連携を崩す」
知事が「民間でも同じ。チームワークは必要だし、その上で厳しく評価されている」と応じると、陰山委員は「人間関係が崩れる。民間でも本当にうまくいくのか」と詰め寄った。p.47
2011年10月7日朝日新聞大阪版夕刊からの再録だという。大きな枠組としては、民間の会社員が成果に応じて能力を評価され選別されるのと同じことを教師についてもやるべきだという考えと、教育は民間企業と同じ原理では動かないという考えが対立している。しかし、上のやり取りは、selection一般の問題にも見える。様々な要素が組み合わさった結果としてのアウトプットを評価することで、個々の要素の能力を適切に評価できるのか、というのが最初の疑問である。
この問いに対する橋下の解答は(文脈は全く違うが)ドーキンスが『利己的な遺伝子』で用いた論法と似ている。生物体は個々の遺伝子の協働の産物であって個々の対立遺伝子の産物ではないように、学校教育は教員一個人の産物ではない。しかし、それがどうしたというのだ。対立遺伝子がどういうアウトプットをもたらすのかは、(他の遺伝子も含めた)環境に依存するとしても、だからといって自然選択のメカニズムが有効に機能しなくなるわけではない。
こうした橋下の議論argumentは結構良い線をいっているのではないかという気がする。これまで学校教員は評価をされる機会が少ないというのは事実だろうし、教員たちの間にそこまで密なチームプレイがあるのかどうかは疑問だ。しかし、教育の場合、成果に対する評価を誰が行うのかと更に考えると、やはり自然選択との類比は成り立たない気がする。正直いって誰も適切な評価なんてできないのではないか。選択肢は幾つかあるが、どれも困難があると思う。
- 校長:身内には甘くなる。
- PTA:モンスターペアレンツをどう排除すればいいのか。
- 学生:子供は(テクニカルな意味で)人格を欠いた存在だから適切な評価なんてできない。ついでに言えば、大学では教員に対する逆評価のシステムがあるけれど、あれがマトモに機能しているとは到底思えない。実効性ないんだもの。
といった批判は誰でも思いつく。でもこういうことを書くと、「じゃあ代案は?」と問われるだろうね…。私の考えでは、学校教育さえ良くすれば学生も良くなるという発想を捨てることを最初の一歩とすべきだ。例えば、いまのテレビとか見ていて頭が良くなる気がしないのだけど。CNNのstudent news(http://edition.cnn.com/studentnews/)とかと比べてごらん。日本のマスコミが「マスゴミ」だと分かるよ。
*1:『考えることを考える(上)』p.16
*2:永井均『ウィトゲンシュタイン入門』p.63。どうでもいいけど、このフレーズはステーテン『ウィトゲンシュタインとデリダ』が元ネタだと思う。
*3:[http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51768741.html:title]
*4:とりあえず高校教育あたりまでを念頭に置いている。民主党のマニフェストは高校教育までの無償化を謳っていたので
*5:とりあえず、橋下の教育基本条例に対する真っ当なコメントとしては、寺脇研の[http://twilog.org/tweets.cgi?id=ken_terawaki&word=%E6%A9%8B%E4%B8%8B:title]を見るのがよいと思う。8/22付近に集中している。