Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

起源の剽窃

あまりに偉大な文化的名声のゆえに、ギリシャ哲学は憤りを買うこともあった。ギリシャ哲学によって自分たちが文化的に追いやられていると感じた集団が、ギリシャ哲学には新しいものは全く何もない、それはことわりもなく剽窃を行なってきた伝統にすぎないと主張しさえした…初期のキリスト教教父は、異教徒の哲学者たちが彼らの考えをユダヤ教聖典から盗んだのだと考えていた。20世紀のアフリカ中心主義的な作家は、エジプトの神秘宗教について同じような主張を行なっている。しかしながら、それらの主張は歴史的に観ればまったく成算のない考えである*1

プラトンアッティカ方言を話すモーゼだ、といったフレーズはしばしば目にするけど、このフレーズの背景にあるのは「ユダヤ教の方がギリシャ哲学より先だ」という考え方なのだね*2

木田元は、プラトンソクラテスが処刑された後、世界漫遊旅行に出かけ、北アフリカユダヤ人と出会ったことでイデア論を思い付いたとか、推測してたけど*3、それはここでいう「成算のない考え」の典型ではないかと思われる。長年にわたってプラトンが旅行に出かけたのは本当だろうが、どこに行ったのかは定かでない。ユダヤ教に接したという推測の根拠としては、アウグスティヌスの『神の国』8巻11章あたりが考えられるプラトンはエジプトに滞在したことがあり、そこで聖書についての知識を獲得し、それによって『ティマイオス』の創世神話を書いた、と。しかし、この記述の信ぴょう性は高くない。

*1:ジュリア・アナス『古代哲学』p.157

*2:「20世紀のアフリカ中心主義的な作家は、エジプトの神秘宗教について同じような主張を行なっている」というのは、たぶんバナールの『黒いアテナ』のことだろう。

*3:木田『反哲学入門』pp.87-88

ゲーデルの定理(6)

自然数論は無矛盾であるならば不完全である」、これがゲーデルの第一不完全性定理である。さらにゲーデルはもっと驚くべき定理を証明した。今自然数論の無矛盾性が証明されたと仮定しよう。このとき「この命題は証明可能でない」という命題が論理的に真であることが証明されたことになる。なぜなら他に選択の余地はないからである。しかしながら「この命題は証明可能でない」という命題が証明されたことは、「この命題は証明可能でない」という命題が証明可能であることに他ならない。証明可能でない命題が証明可能である。これは矛盾である。したがって自然数論の無矛盾性は証明できない。「自然数論の無矛盾性は証明可能でない」、これがゲーデルの第二不完全性定理である*1

大筋は合ってるように思うのだが、にしても「なぜなら他に選択の余地はないからである」というフレーズは凄い。さも自明であるかのようだが、実のところ、これの証明が第二不完全性定理の肝なのではないか。

たしかに、ごく大雑把にいえば、第二不完全性定理の証明の流れは以下のようだ。まず、自然数論をT、ゲーデル文をg、証明可能性述語(可証性述語)をPrvとして

  • T |- Con(T) → ¬Prv(g)

を何とか証明する。ここで

  • T |- Con(T)

を仮定すると

  • T |- ¬Prv(g)

が出てくる。ゲーデル文の特性から

  • T |- g iff ¬Prv(g)

なので、

  • T |- g

となるが、これは(Tが無矛盾なら)不整合なので、「無矛盾性を証明できる」という仮定がおかしい。よって自分の無矛盾性は証明できない(q.e.d)。

この構図は割とシンプルである。問題は、最初の条件文を証明するのが大変だということ。厳密な証明は、証明可能性述語に関する三つの有名な可導性条件を利用する。事典の項目なのでスペースが限られているのは理解できるが、せめて、この条件文が第一不完全性定理の形式化であることを明示すべきだったと思う。

*1:落合仁司「合理性」『事典哲学の木』p.371

最凶の敵は自分の中にいる

The worst foe lies within the self.

最凶の敵は自分の中にいる。

スクウェアの Parasite Eve のオープニングムービーに出てくるこのフレーズ。どうもニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』第一部の「創造者の道」に由来する*1

しかし君が出会う最悪の敵は、いつも君自身であるだろう。洞穴においても、森においても、君自身が君を待ち伏せしているのだ。

ニーチェの言葉とされるものは、しばしば典拠が不明だったりするので注意が必要だが*2、これは対応する箇所を運よく見つけられた。

まぁ、由来なんて知らなくても、これがどういう意味なのかは2周目の隠しエンディングを迎えれば分かるようにできている。というか、最凶の敵が自分の中にいる、というモチーフはある意味最初から暗示されている。シナリオ1日目で、イヴは「おまえの細胞の奥から聞こえるはずだ…目覚めよと呼ぶ声が…」と言っている。そういうわけで、エンディングでバッハの「カンタータ140番 目覚めよと呼ぶ声あり」がオルゴール音で流れる。しかも、同じメロディーが冒頭の Waiting for Something Awakens というBGMのド真ん中でノイズのように出現するし…。

*1:西尾幹二ニーチェとの対話』p.66

*2:例えば、「過去が現在に影響を与えるように、 未来も現在に影響を与える」とか、ニーチェの言葉としてよく引用されてるけど、一体どこに書いてあるんだろう…。

t検定

『みんなのR』という本(初版)を使って、統計とプログラミング言語のRを並行して勉強している。しかし、やり始めて分かったが、この本は統計についての解説が分量的にかなり貧弱で、すでに理解のある人でないと読みこなすのが難しい。私の場合、初心者に毛が生えた程度の統計リテラシーなので、どうしても不安が残る。

例えば、t検定について解説してる15.3節。従業員が一日に受け取ったチップの金額のリストが与えられたとき、その平均金額が2.5ドルであるという仮説をt検定にかけて棄却する、という具体例を提示している。しかし、ここで気になるのはそんなに安易にt検定を適用していいのか、である。この種の問題でt検定を使用する条件には、母集団が正規分布に従うという前提が入っていると思う。それで、従業員のチップが正規分布に従ってるかどうかを、シャピロ・ウィルク検定(shapiro.test)にかけると統計的に有意なので棄却されてしまう…。大丈夫なのだろうか?

安易な手段ではあるが、wikipediaで「t検定」について調べたところ、次のように書いてあった。

中心極限定理によると、母集団の分布が正規分布に従わない標本でさえも、サンプル数が多くなればなるほど、標本平均は正規分布に近似していく。…母集団が正規分布から完全に逸脱した分布に従っていて、標本サイズが十分に大きな場合(大学の初等の統計の教科書などではn>30などと載っている場合があるが、勿論多ければ多いほど良い)、Z検定で近似的な確率を計算できる。ただしt値は自由度が上がるとZ値に近似するため、計算上はt検定を用いても殆ど大差ない結果を得られる(哲学的には異なるが)。それがt検定が頑強(robust)であると言われる所以である。

先の具体例では標本のサイズが244だったので、十分に大きい。よって、母集団分布が正規じゃないけどt検定を使ってもいいだろう、ということなのだろう、おそらく。

ステファヌス数

岩波文庫などでプラトンの本を手に取ると、ページの上の方に数字が印字してあるのが目につく。これはステファノス数といって、1578年に古典学者・印刷業者のアンリ・エティエンヌ(ラテン名ヘンリクス・ステファヌス)によって刊行された3巻本のプラトン全集のページ数に由来する。ステファヌス版の全集は、ギリシャ語原文とラテン語訳を併記していて便利だったので、現代でも引用箇所を示すときにはステファヌス数を明記するのが慣例になっている。

上述のような説明は、ブラックバーンの『プラトンの『国家』』冒頭の「凡例」(p.4)で与えられている。大学に入ったころの私は、この本でステファノス数について知ったので、この本はかなり懐かしい本である。ところが、最近この箇所の邦訳に誤訳を見つけた。邦訳では、エティエンヌのプラトン全集は「ジェノヴァ」で刊行されたと書いてあるのだが、これは「ジュネーヴGeneva」の間違いである*1ジェノヴァの綴りは「Genova」である*2。これは、木田元のような碩学にしては結構恥ずかしい間違いではないかと思われる。

なお、プラトンの著作がどのような経緯で現代に伝わったのかについては、次の本の納富先生の解説が素人にも分かりやすくて便利だ。

テクストとは何か:編集文献学入門

テクストとは何か:編集文献学入門

 

*1:ちなみに、ジュネーブ大学はフランス語圏ではめずらしく分析哲学の牙城になっているらしい。これはパスカル・アンジェルという著名な研究者のおかげかもしれない。

*2:ちなみに、FF7ジェノバの綴りは「Jenova」。

バーンスタイン『豊かさの誕生』

ウィリアム・バーンスタイン『豊かさの誕生』を読んでいる*1

本書で目指しているのは、19世紀の初頭に合流し、その後の近代世界に飛躍的な経済成長をもたらした文化と歴史の諸潮流を明らかにすることだ。p.6

amazonのレビューなどを見ると、類書としてダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』が挙がってる。バーンスタインも類書としてダイアモンドの本に言及している。ただし、ダイアモンドは結局『銃・病原菌・鉄』を書くきっかけとなったニューギニアのヤリ族から受けた「なぜ白人がカーゴを全部もっているのか」という疑問に対して、答えていないのではないか、と辛口のコメントをしている。バーンスタインの本はこの疑問に答えるべく書かれた、いわばダイアモンド本の続きとみなしてもいいかもしれない。

まだ途中なので全体に対するコメントは控えるが、翻訳は概して読みやすいという印象。もっとも、amazonのレビューによるとそれなりの数の誤訳もあるらしいが…。

私は科学史については多少知識があるので、3章の「科学的合理主義」は「おや?」と思うような解説がいくつか目についた。本筋には影響しない小さな瑕疵なのだが、一応記しておく。

コペルニクスのモデルはあまりに複雑なため、実際天文学史の著作の多くでは細かく説明されていない。結局、コペルニクスのモデルもプトレマイオスのそれと同じく、どのような観測事例でもなんとか説明できてしまうので、反証がほとんど不可能だという欠陥をもつことになった。

これは大事な点だ。科学的なモデルは、反証可能でなければならないのである。そのモデルと矛盾するような観察例を容易に想像できなくてはならないのだ。プトレマイオスのモデルも、コペルニクスのモデルも、この基準からいけば落第だった。主軌道・周転円の入り乱れたこれらのモデルは、新しいデータが出てくるたびに調節可能だった pp.178-179

プトレマイオスにしろコペルニクスにしろ、彼らのモデルが反証可能性の基準をほとんど満たしてないという意見には、あまり賛成できない。まず、ケプラーは彼らのモデルから導かれる天文現象の予測がティコ・ブラーエの観測データとズレることで彼らのモデルを拒否したのだと思う。また、新しいデータがでてくるたびに調節可能、でないような科学の仮説というのはそもそもありうるのだろうか。たしかに、デュエムクワインのテーゼを引き合いにだして決定実験なんてありえない、と言い切るのは過激かもしれないが、それでも彼らのモデルがとりわけ反証可能性の基準を満たさない、と言うのはどうかと思う。

より細かな疑問点は以下。

  • アリスタルコスと並んでアポロニウスが地動説を支持していたと書いているが(p.171)、ぺルガのアポロニウスは従円-周転円モデルの考案者なので、天動説を支持してたと思う。
  • ティコ・ブラーエについて「水星と金星は太陽の周りを回っているが、他の惑星は地球の周りを回っているという説を唱えた」と書いているが(p.192)、太陽が地球の周りを回り惑星はすべて太陽の周りを回る、の間違いだと思う。
  • ニュートンを訪問するまで、ハレーはプトレマイオスにしたがって惑星軌道を円だと思っていた、とある(p.211)。信じがたいのだが、これは本当だろうか?

 

*1:以下、ページ数は文庫版に依拠している。

京大生の放蕩

以前、山田晶アウグスティヌス講話』という本を読んだときに印象的だった箇所がある。アウグスティヌスカルタゴに留学したときに放蕩に目覚めてしまったという話を紹介するくだりで、山田先生によれば、これは京都大学に合格して京都に移ってきた若い学生が誘惑に負けてしまったようなものだ、と(文庫版p.25)。

最近、井上章一の本を読んでいたら、少し前までの京都は東京や大阪と並んで淫靡な街として知られていたのだ、と論じていて、その際にこんな話を紹介している。1897年に京都帝国大学が開校したとき、初代総長は入学式で新入生たちに京都には気を付けろ、誘惑の多い土地だが負けるなよ、と告げたのだとか*1。この話を読んで、山田先生の喩えが何となく説得力あるような気がしてきた。

*1:『京都ぎらい 官能篇』p. 96