Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

児玉『オックスフォード哲学者奇行』

オックスフォード大学にゆかりのある哲学者たちの人生模様を紹介する本.哲学の話はあまり扱われていないが,ゴシップが豊富で自分も知らない話も多かったので,読んでいて楽しい本だった.吹き出しそうになることも何度もあった.

たとえば,ライルとエア(Ayer)に関する逸話.ライルはエアの十歳上の先輩で,エアのチューターでもあった.しかし,この二人の性格は対照的で,ライルは生涯独身で成人してからはオックスフォード大学とその近辺で一生を過ごしたのに対し,エアは生涯で4回結婚するなどロンドンを中心に社交的な生活を送っていた.

「1958年の秋,ライルはエアを連れて,5年に一度開かれる世界哲学会議に出席するためにヴェニスに向かって車を運転していた.……フランスのとくに平坦な地域を車で通過しているさい,エアは話すことが何もなくなり,ライルに「あなたは童貞か」と尋ねた.ライルは無愛想に「そうだ」と答えた.エア「では,仮に誰かと寝ることになったら男か女かどちらになりそうですか」ライル「男だろう,たぶん」.その後,二人は黙ったまま車で旅行を続けた.」(p.52)

他にも面白い話がいろいろ.みんな一癖もふた癖もあるが,やはりアンスコムの変人っぷりは次元が違う.あの師匠にしてこの弟子ありという感じ.

とはいえ,取り上げられている話題が全部が全部ばかばかしいわけではない.個人的には,ロワイヨーモンの会議についてもきちんと触れられているのがよかった.

ちなみに,この本で取り上げられなかった哲学者もまだまだいる(p.323)と断られているのが少し気になった.有名どころはほとんど紹介されているような,と思ったけど,たしかに,自分が思いつく範囲でも,ウィギンズ,ダメット,エヴァンズ,マクダウェル,ウィリアムソンといった面々は扱われていない.著者の専門が倫理学なので,そっち方面への偏りもあるかもしれない.

ケンブリッジ大学の哲学者の奇行については,次のサバティカルがあればそのときに書く(p.306)と言われているので,楽しみにしよう.

ペドフィリア

今年3月にBBCジャニー喜多川による性加害を報道したが,ようやく日本のマスコミでもこの件が大々的に取り上げられるようになった.大手企業もCMを打ち切りはじめているみたいだし,帝国の終焉も近いのだろうか.

ところで,最近ヴェロニク・モティエ『14歳から考えたい セクシュアリティ』という本を読んだのだが,この本の5章に小児性愛についての興味深い記述がある.ここは個人的にかなり驚いた箇所なので,メモも兼ねて引用しておきたい.

他の性的少数者は別の組織を作りました。そのひとつで、おそらく意見が大きく分かれるだろうと思われるのが、1970年代からオランダ、アメリカ、イギリスなど数々の国で生まれた小児性愛者の利益団体です。

小児性愛者の運動はとくにオランダで盛んで、1972年に『性と子ども(Sex met kinderen)』がオランダ性改革協会(NVSH)という立派な組織の支援で出版されています。

(中略)

世界保健機関(WHO)が小児性愛を性的および精神的障害と特徴づけているのとは対照的に、小児性愛者の権利を擁護する活動家は合法化の拡大、精神障害の分類からの解除、子どもの性の権利、(合意にもとづく)世代間の性行為の非犯罪化を主張しました。

フランスでは、1970年代後半にさまざまな請願によって、性的同意年齢に関する法律の撤廃を議会に求めました。合意にもとづくすべての性的関係を犯罪の対象からはずすよう求める1977年の請願書には、ジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワールミシェル・フーコージャック・デリダロラン・バルトをはじめとする著名な知識人や、フランスの有名な小児精神分析医であるフランソワーズ・ドルトが署名しました。

このように小児性愛者支援団体が活動する背景には、子どものセクシュアリティについての文化的概念が広く再定義されつつあったこと、また、おそらく医療や栄養事情の向上により、性的成熟期に達する年齢が大きく低下したことがあげられます。

(中略)

成人と小児との性的関係についてはつねにさまざまな議論があり、文化による大きな違いも残っていますが、人々の姿勢は1980年代以降、大幅に硬化しました.西ヨーロッパでは、子どもへの性的虐待に対する人々の怒りが激しさを増したのを受け、小児性愛者の政治ロビー団体が勢いを失いました.アメリカ、カナダ、イギリスでは警察が監視を強め、団体のメンバーが犯罪者になることが増えると、名の知れた団体は、すべてではないものの、大半が解散するか、あるいは、インターネットを利用した目につきにくいコミュニティに形を変えました。

フランス現代思想の大物たちがそんな署名に加わってたとか,知らなかったなぁ.

確定記述とは何か

東浩紀は「確定記述」を理解しているのか問題がXで話題になってるらしい.北大の院生が東浩紀にいろいろと突っかかっているようだ.

「確定記述」が何なのかは意外と厄介な問題ではある.Wikipediaの"Definite description" には次のようにある.

In formal semantics and philosophy of language, a definite description is a denoting phrase in the form of "the X" where X is a noun-phrase or a singular common noun. The definite description is proper if X applies to a unique individual or object.

これを見る限り,基本的には "the X" という形の言語表現を「確定記述」と言い,実際に対象を一つに特定しているかどうかは確定記述かどうかとは独立に見える.一意に特定できている確定記述は適切properで,一つも当てはまらなかったり,あるいは,複数の対象に当てはまる場合は不適切ということだろう."the student of Plato" ならプラトンの弟子は複数いたので不適切な確定記述になる.

それと,日本語にはそもそも冠詞がないので,確定記述が日本語に存在すると簡単には前提できない,という点も押さえておくべきだと思う.だからといって,固有名は確定記述の省略とみなせるようなものではないんだというクリプキの議論が日本語では理解できないというわけではないが.

それにしても,固有名と確定記述の関係に関するクリプキの議論はどうしてこんなにも有名になったのか,以前から疑問に思っている.たしかに,固有名と確定記述では様相的な文脈での振舞いが違うとか,ゲーデル=シュミット事例といった議論は予備知識がなくてもそれなりに理解可能だけど,逆に,予備知識がない人はそもそもなんでこんな区別を分析哲学者は気にしてるの?という点が理解できないのでは,と思う.

ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見る

京都アニメーションの最高傑作と言われる『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見た.これを見るにNetflixに入ったと言ってもいいくらいである(さいきん話題になっている実写版One Pieceとかも見てしまったが,それはまた別の話).

京アニの作品,『けいおん』とか『響けユーフォニアム』は生理的に受け付けなくて1話の途中で切ってしまったが,今回はちゃんと最後まで見られた.外伝や劇場版は正直いまいちだったけど,テレビ版(のとくに前半)は最高傑作という評価も納得だと思った.後半になるとヴァイオレットが有能すぎて少し白けてしまったが,前半は空気の読めない振舞いの一つ一つが心に刺さった.「裏腹です」の場面とか,鳥肌が立った.

舞台設定がなんとなく気になったのだが,某知恵袋によれば

完全なごちゃまぜです。

まずライデンという言葉はオランダ語、シャフトリヒはドイツ語です。

電波塔はエッフェル塔を彷彿とさせますが、ライデンが海辺街なのに対しパリは海に面していません。地形的にはシチリアに近く、坂の多い街並はイタリアを彷彿とさせる部分もあります。

イギリスのような田園風景もあれば稲作が豊富でスペインを思わせる風景も見られます。

とのこと*1.いちおう劇場版ではエッフェル塔が建設中で,電話も出てくるので,時代設定は19世紀後半あたり,ヴァイオレットと少佐が参加した戦争は普仏戦争のイメージかなぁとは思う.ちなみに,葉書が一般化したのは普仏戦争のときで,前線にいる兵士が愛する家族と交信するための手段だった,という話を読んだことがある*2

音楽も印象的な作品だった.YouTubeにはアレンジもいろいろあがっている(以下動画を参考).作業BGMとして聴いてみるのもよいだろう.

www.youtube.com

オッカムの剃刀

マクファデン『世界はシンプルなほど正しい』という本を読んでいる.オッカムの剃刀がいかにして近代科学の形成と発展に貢献したか,その歴史を追う本.分からない部分も多いがそれでも十分面白い.

類書としては,グリーンブラット『1417年,その一冊がすべてを変えた』が思い浮かんだ.こちらは古代ローマの詩人ルクレティウスの本が1417年に再発見され,そこで提示されている世界観が近世の哲学や科学に大きな影響を与えたという趣旨の本だったが,今回のはそのオッカム版という印象.当ブログでも言及したことのあるオレームとかザクセンのアルベルトゥスなんかもオッカムの影響下にあったんだ……

ちなみに,どちらの本も著者は科学史を本業としているわけではなく,グリーンブラットはシェークスピア研究者.マクファデンは生物学者生物学者が単純さこそ至高と言っているのは,考えてみればちょっと面白い.

読売新聞に書評が出ているのを見つけた.

森本さんは反知性主義の本とかで勉強させてもらったが,この書評は正直いただけない.「その後の科学史では、コペルニクスが周転円を排除して地動説を唱え、ガリレオが天界と地上を支配する同じ法則に気づき」とあるが,マクファデンはそうは言っていないと思う.彼は次のように述べている.

では,もっと単純なモデルを構築するという目標は達成できたのか?軌道円の数を単純に数える限り,その答えはノーである.p.165

ニュートンによってついに,地上での運動と天界での運動がたった一つの法則群のもとに統一されたのだ.p.253

哲学者のAI論

知性intellectと知能intelligenceという二つの用語は別系統だけど区別しなくていいのかなぁ.この点についてはカート・ダンジガー『心を名づけること』が詳しい.ダーウィンが『ミミズと土』で言ったのはたぶんintelligentの方.

機械学習によるAIは基本的にデータの平均値を出力するようですが、それを信じてしまうと、あたかも人間はみなそのような平均的な判断をせねばならない、といった強い規範にさらされます。

しかし、平均的な判断がいつも倫理に沿っている保証はありません。平均的な判断よりも適切な判断はあるからです。*1

王寺賢太も似たようなことを言っている.

そういう風に言うこともできるのかもしれないが,解像度が低すぎてよくわからない.評価に困る.かつて速読の達人が『戦争と平和』を読んで「ロシア人の物語だ」と要約したという逸話を連想する.

コンピューターは人のように話せるか

トレヴァー・コックス『コンピューターは人のように話せるか』(白揚社)を読んだ.著者は音響工学を専門にする英国の研究者.この本は声の進化から人工知能との会話まで,声にまつわる多様な話題をカバーしている.

情報量が非常に多い本で,なんなら最初の方の内容はすでに頭から抜け落ちているのだが,それでも楽しい本だった.各章の内容はおおむね独立しているので,気になる章だけ読んでもいいかもしれない.たとえば,音楽が好きな人には5章がおすすめ.フレディ・マーキュリーとモンセラート・カバリェの「バルセロナ」を題材に,伝統的なオペラ歌手と現代の歌手の歌い方がどういうトレードオフ関係にあるのかを議論してたりする.

翻訳もこなれていて読みやすい.一か所分かりにくかったのは,ダブルミーニングをもつ表現について話しているところ.「一日中…を食べられる」のような構文は下ネタとして解釈されやすい,とあり首をかしげたのだが,辞書でeatを引くとフェラチオという意味があることを知った.また,ここで参照されてる論文は,

  • Kiddon et al. "That's what she said: Double Entendre Identification"

という論文なのだが,タイトルのthat's what she saidがどういう意味なのかも知らなかった.次のサイトの解説にいろいろ教えられた.

やはり英語の勉強が足りないなぁ……という結論に至った.