Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

ゆっくり解説動画

このところ、暇な時間にYouTubeでゆっくり解説動画を見てる。いろいろな話題に関して、初心者向けで質の高い解説に手軽にアクセスできるので、非常に助かる。ゆっくりボイスに拒否反応を示してしまう人も多いみたいだけど、私は特に気にならないどころか、もはや生声よりも落ち着くように耳が調教されてしまった…。

いま気になっているチャンネルをリストにしてみる。どのチャンネルも登録者数が多くて有名なので、YouTubeをよく見る人には大して役に立たないかも。というか、面白い解説動画のチャンネルがあったら教えてほしいです。

  • tera sen - YouTube:江戸時代の解説動画。ほのぼのした雰囲気がいい。家康から時代順に色々な話題を取り上げてくれるので、高校日本史の副教材になりそう。姉妹チャンネルも面白い。
  • カカチャンネル - YouTube:経営史の解説。倒産した有名な企業にまつわるエピソードが楽しい。あと、毎回のように紹介されるお菓子はコスパがよい。

  • 咲熊 - YouTube:近世ヨーロッパの王室についての解説。政治の話より人間模様の話の割合が多いけれど、うp主の突っ込みが面白い。

  • アルノ - YouTube:ドイツ史の解説動画。ナチスの幹部に焦点をあてた人物紹介が多い。たまに淫夢用語が使われるので注意。

  • ノルトラント - YouTube第二次世界大戦の激戦を紹介する動画。BGMの選曲がいい。冒頭の「こんにちは。ゆっくり霊夢だよ」が可愛い。

  • PzFr「ぱんふろ」 - YouTube:ゲーム実況の中に隠れた「帆船の歴史」解説が秀逸。完成が待ち望まれる。

 

学問に王道なし

この警句のルーツについては諸説ある。

おそらく一番有名なのは、ユークリッドがエジプトの王プトレマイオスにそう言ったという説。この説は5世紀の新プラトン主義者プロクロスの『ユークリッド原論1巻への注釈』で述べられているという。

しかし、プロクロスはユークリッドより7世紀も後の人物であり、証言としては新しすぎる。また、同じようなやり取りが、幾何学者メナイクモスとアレクサンドロスとの間でなされたという伝承もある*1。こちらの伝承の方が前であることから、プロクロスの説は信憑性が低い。

ところで、アレクサンドロスの家庭教師と言えばアリストテレスである。「学問に王道なし」はアリストテレスが若い頃の大王に言ったセリフであるという伝承もあるようだ*2。でも、こちらの伝承の典拠は何だろう*3

アリストテレスアレクサンドロスに関しては、「学問に王道なし」の他に次のような伝承もある。アリストテレスは、生徒のアレクサンドロスに慎み深さを説く一方で、アレクサンドロスの恋人から挑発されると、あえなく誘惑されてしまう。そのありさまをアレクサンドロスに目撃され、「先生、これはどういうことですか」と問われると、「私のような老いぼれでもこの有様だから、若い君はもっと気を付けなければならない」と言った、と*4。この伝承も信憑性は低いと思われるが、ちょっと面白い。 

*1:斎藤『ユークリッド『原論』とは何か』p.74

*2:孫子『歴史をたどる物理学』p.9

*3:学問に王道なし - Instrumentality

*4:ブラックバーン『哲人たちはいかにして色欲と闘ってきたのか』「序章」p.22f

パラドクスの効用

ラッセルのパラドクスは、パラドクスというよりも「ラッセル集合なんて存在しない」という趣旨の定理だという風に言われることがある。これは単に言葉の問題だと思うのだが、どちらの見方にも意義があると思う。

数学の基礎に関心のある哲学者なら、素朴集合論から矛盾が出てきてしまうのでどうしようか、という問題がラッセルのパラドクスだと考えると思う。対処策は包括原理を弱めるとか非古典論理に進むとかタイプ理論とか色々ある。

他方で、そんな多様な選択肢など相手にせず、ZF集合論一択でよかろうと決めてかかるなら、ラッセルのパラドクスは {x |¬x∈x} なんて集合は存在しない、という論理学上の定理とみなせる。これは有用な定理でもある。例えば、普遍クラスV = {x | x=x} なんて存在しないことを示すにあたって、ラッセルのパラドクスを利用する。Vが集合だと仮定すると、分出公理によって {x |¬x∈x} も集合だが、それはありえないので、Vは集合じゃない(QED)。これは単純な例だが、いろいろな固有クラスの非存在をラッセル集合の非存在に帰着させることで示すことができると思われる。

ある意味これと似たようなことは、停止問題を解くプログラムは存在しないという定理についても言える。ある問題を実効的に解くプログラムが存在しないことを証明する一つの方法は、もしそれが解けると仮定すると停止問題も解けてしまうことを示す、というものになるから。

ネガティブな結果のなかにポジティブな側面を見るといえば、ゲーデルの定理にもそういう側面がある。第二不完全性定理は、算術の無矛盾性を自分では証明できない、といえば悲観的に聞こえるが、逆にいえば、ある理論の無矛盾性を別の理論で証明できるなら、その別の理論はよい強いことになる。第二不完全性定理は理論間の強弱を測る道具となる。

親子婚

宮脇『中国・韓国の正体』を読んでいて少し気になったことがあったので記してみる。

著者によると、唐の帝室と貴族たちはもともと大興安嶺山脈のあたりにいた「鮮卑」と呼ばれた遊牧民出身なのだという。この王朝の異質さは、次のような事例に見て取れる。

  • 楊貴妃は17歳の時に玄宗の息子の妃となった。 5年後の22歳の時に舅の玄宗にみそめられ、一時的に出家して夫との縁を絶った後、改めて玄宗後宮に入った。
  • また、玄宗の祖母にあたる則天武后は、太宗の後宮にいた女性で、一度は尼となったがまた召されて、太宗の息子の後宮に入ったという経歴を持つ。

この二つの事例だけを見ても、唐の帝室が儒教的な規範から完全に逸脱していることがわかる。継母と結婚するとか、息子の配偶者を娶るなんてのは儒教的な規範からすれば畜生同然だとされるからだ。実母以外の父の妻を娶ることは「レヴィレート婚」と呼ぶ習俗であり、息子の妻を娶ることも気にしないのだ、と。

この説明はけっこう説得的だと思った。気になったというのは、本当に細かいことなのだが、一番最後の部分。私の理解では「レヴィレート婚」は、寡婦が亡くなった元夫の兄弟と結婚すること(逆縁婚の一種)なのだが、玄宗楊貴妃の例だと息子の嫁との結婚ということになり、これは(義理とはいえ)親子婚のような事例である。こういう事例も「レヴィレート婚」というのだろうか。なにか他の表現がありそうな気もするのだが、見つけられなかった。

ちなみに、現代日本民法735条によると、玄宗楊貴妃のようなカップルは結婚できないらしい、ということをはじめて知った。つまり、(楊貴妃の視点でいうと)夫と離婚したあとであっても、元夫の父親と結婚するのは制度上できないのだね。

コペルニクスは司祭か

ギンガリッチとマクラクランの『コペルニクス』は優れた入門書だが、翻訳で一つ気になる点がある。どうしようもなく些末な問題ではあるが。

コペルニクスはフロムボルクの司教座聖堂参事会員(カノン)だった。この翻訳ではカノンを「律修司祭」と訳している。ただし、次のように述べられている。

司教座聖堂参事会員、律修司祭と呼ばれるこうした管理者は各教区の実務を処理し、とくに、自分たちが保有していたそうとう広い土地の借地人たちから地代を徴収する役目を担っていた。ちょっとした宗教的な責任ならひきうけたが、必ずしも司祭に任命されるわけではなかった。pp.22-23

「律修司祭」は必ずしも「司祭」ではない、ということらしい。紛らわしいので「カノン」のままでよかったのではないか、と思った。

実際、コペルニクスはどうだったのだろう。村上陽一郎の『西欧近代科学』には、コペルニクスは「フロムボルクの教会付の司祭であった」(p.83, cf. 92)とある。ページ数は新版(2002年)に依拠しているが、この本の旧版は1971年で、新版でも本文はほとんど改訂されていない、とある。これより新しい村上の本『新しい科学論』(1979年)には

フロムボルクという街にある司教座聖堂という教会に勤めていたコペルニクスは、カトリックの司祭になる叙階式…こそ受けていなかったようです…当時の境界では、司祭の立場にいない人でも教会の要職につくこともできたのです。p.103

とある。

この記事によると、コペルニクスが司祭だったという逸話はガリレオによって(誤って?)広められたらしい。 

伝統論理と存在措定

伝統論理と現代の論理学の違いとして、主語概念の存在措定がよく指摘される。実際のところ、伝統的な三段論法の中には、存在措定なしには妥当でないものが幾つか混じっている。例えば、

  • すべてのMはPである
  • すべてのSはMである
  • よって、あるSはPである

たしかに、二つの前提から「すべてのSはPである」が帰結する。問題は「すべてのSはPである」から「あるSはPである」が帰結するかどうかである。常識的には帰結しそうに思える。しかし、論理学の初歩で習うように「すべてのSはPである」という形式の文は

  • ∀x(Sx→Px)

と記号化されるため、Sが空虚であればこの文は真になってしまうのに対し、「あるSはPである」が真であるためにはSが空虚であってはならない。よって、「すべてのSはPである」から「あるSはPである」が帰結することは、現代の論理学では、ない。つまり、伝統的に妥当とされてきた三段論法のいくつかは、現代の論理学では妥当な推論ではないということになる。

伝統的に妥当とされてきた三段論法をすべて守りたければ、全称命題の記号化・解釈をいじるしかない。例えば「すべてのSはPである」と「すべてのSはPでない」を

  • ∀x(Sx→Px) & ∃xSx
  • ∀x(Sx→¬Px) & ∃xSx

という風に解釈する。赤字の部分を加えて全称命題を解釈すれば、伝統的な三段論法の規則はすべて救うことができる。実際、これは自然である。子供のいない男性が、彼の子供がみな眠っているかどうかと尋ねられれば、子供がいないという理由で「そうだ」と答えるとは考えにくい。

しかし、伝統論理には対当表というものがある*1。それによると、全称肯定命題Aは特称否定命題Oと、全称否定命題Eは特称肯定命題Iと、矛盾対当の関係にあるとされる*2。つまり、一方が真なら他方は偽であり、ともに真であったりともに偽であることはない。ところが、全称命題の主語は空虚でないと解釈すると、AとOは矛盾対当ではなくなってしまう。「すべてのSはPである」を∀x(Sx→Px)と解釈し、「あるSはPでない」を∃x(Sx & not-Px) と解釈すれば、これらは矛盾対当の関係に立つ。「すべてのSはPである」を∀x(Sx→Px) & ∃xSxと解釈すれば、Sが空虚なときにはともに偽となり、矛盾対当の関係には立たない*3

したがって、ここにはジレンマがある。伝統的に妥当とされてきた三段論法の規則をすべて守ろうとすると、対当表が壊れる。対当表を守ろうとすると、三段論法のいくつかが妥当でなくなる。伝統論理をそっくりそのまま維持することはできない。

このジレンマについて、ピーター・ストローソンは、それは見せかけだと主張した*4。主語述語文は主語概念が空虚でないということを前提する。よって、主語概念が空虚な文は有意味だが真でも偽でもない、と彼は考えた。そして、伝統的な規則ひとつひとつに対して、「もし文の主語概念が真または偽であるとすれば」という条件をつけることにすれば、伝統的に妥当とされてきた三段論法と対当表はすべて維持できる、と言う。

巧妙なアイデアだが、真でも偽でもないケースを考える必要がでてくるため、このアイデアを形式的に取り扱うのはだいぶ面倒になるに違いない。

*1:山下正男『思想の中の数学的構造』は、対当表がクラインの四元群をつくるという興味深い指摘をしている。http://ccoe.main.jp/easy_Diary2/dia2011.html#September11_2011

*2:伝統論理では、肯定AffIrmと否定nEgOの母音をつかって全称/特称の肯定/否定を表現する。

*3:対当表を維持しようとすると「AがIを含意する」とか「EはOを含意する」と言えなくなる、という意味で全称命題と特称命題の間にギャップがある。この点にはじめて気づいたのはアベラールだそうである。大澤真幸『世界史の哲学 東洋篇』28章

*4:ストローソン「指示について」邦訳pp.249-251、『論理の基礎』下巻p.215-

ジェンダー

ある有名な症例研究では、生後八か月の男児が包皮切除の失敗でペニスを失った。両親は有名な性研究家のジョン・マネーに相談した。マネーはかねて「自然な姿というのは、性差の現状を維持しようとする者たちの政治的戦略である」と主張していた。彼は、赤ちゃんの精巣を除去して人工的に膣を形成するように助言し、両親は本人には事情を伏せて女の子として育てた。私は1970年代に学部学生としてこの症例を知ったのだが、そのときこの症例は、赤ちゃんは生まれたときは中性だが育てられかたでジェンダーを獲得することを示す症例として提示された。この時代の『ニューヨーク・タイムズ』のある記事は、ブレンダは「正真正銘の女の子として子供時代を満足そうに過ごしている」と報じた。事実は1997年まで伏せられていたが、実はブレンダは小さいときから自分を女の子の体とジェンダー・ロールに閉じ込められた男の子だと感じていたということがあきらかにされた。彼女はフリルのついた服をぬぎすて、人形を拒否してピストルを欲しがり、男の子と遊ぶのが好きで、立っておしっこをすると言い張った。14歳のとき、あまりにもつらいので男として生きるか死ぬかのどちらかにしようと決意した彼女に、とうとう父親が真実を話した。彼女は新たに手術を受けて男のアイデンティティを身に着け、現在はある女性としあわせな結婚生活を送っている*1

最近、この話にはさらに悲劇的な後日談があることを知った。

この人物の実名は現在公表されている。BruceからBrendaとなり、2度目の男としての名前はDavidである。この話は1冊の本として紹介されていて、2002年にはテレビドキュメンタリー番組(NOVA's "sex: Unknown")でDavidと母親、Diamond医師、そしてこの不幸な症例にかかわったほかの人たちのインタビューが紹介されている。悲しいことにDavidは後に仕事を失い、離婚し、2004年5月、38歳で自殺した*2

*1:ピンカー『人間の本性を考える』下巻pp.130-131

*2:カールソン『神経科学テキスト』4版、p.334