まだ1/3程度しか読んでいないのだが、読んでいるうちに色々疑問が湧いてきて、どうも理解が追いつかない。とりあえず、最初の3章分のメモを書いて、感想・疑問点を述べてみる。
1章 マネーとは何か
太平洋にうかぶヤップ島では、ほとんどの日用品は自弁できたので、物々交換ですら発展する必要がなかったはずである。しかし、三種類の商品(魚、ヤシの実、ナマコ)がマネーによって取引されていた。ヤップ島におけるマネーはフェイと呼ばれる石で、中には巨大なものもあった。フェイは運ばれることがほとんどなく、盗まれることもない。中には海中に沈んだフェイすらある。
ケインズやフリードマンはこの島の経済についての報告に関心を持った。立場のまったく異なるこの二人が共に興味をもったからには、このエピソードには何かがあるに違いない。p.9, 23
マネーの起源について、かつては次のような考えが有力だった。最初は物々交換がなされていたのだが、やがて、ものがマネーとして交換の手段に応用されるようになった。マネーは耐久性があって持ち運べる者の方がよろしい。この考えは、アリストテレスの『政治学』やロック、アダム・スミスに引き継がれた。p.11
しかし、マネーが物々交換から生まれたという証拠はない。ヤップ島のように原始的な経済ですらすでにマネーが使われていたなら、物々交換経済なんてどこに見つかるというのか?p.16
また、マネーがものの一種(なんとでも交換できるもの)だというのも疑わしい。フェイはほとんど交換されないのだから。p.18
アダム・スミスは地域によっていろいろな商品がマネーとして使われてきたという。しかし、実際には商品が貨幣であるわけではないのだ。どんな取引も、実際にはポンドやシリング建てでなされていた。売り手はcreditを、買い手はdebtを帳簿に書き入れる。これらが相殺されない場合にかぎって、商品による支払が行われるのである。信用取引をしてそれを清算するシステムをみなければならない。p.19
マネーとは交換の手段ではなく、三つの基本要素でできた社会的技術である。p.40
- 抽象的な価値体系を提供する(the abstract unit of value in which money is denominated)
- 会計システムsystem of account
- 譲渡可能性
3.は重要。すべてのマネーは信用creditなのだが、3.のために逆は真でない。取引が二当事者の間だけの契約なら融資でしかない。
2章 マネー前夜
マネーが発明される直前の時代をみてみよう。p.50
ホメロスの叙事詩はギリシャ文化の歴史的記録である。紀元前2000年からクノッソスやミケーネで栄えた文明についての考古学資料は豊富にある。そして、紀元前8世紀の古代ギリシャの都市国家についても多くの記録がある。しかし、紀元前1200年あたりからの暗黒時代については記録がほとんどない。ギリシャ世界は文字のない社会に逆戻りし、分散した部族の集まりになってしまったのだ。口承文学によってかろうじて記録が残っているにすぎない。p.51
だが、ホメロスにはマネーの話が出て来ない。逆に言えば、マネーがなくても社会は運営できるのである。p.53
こうした原始的な社会では3つの制度によって社会は成立する。p.56
- 戦利品の分配
- 互酬的な贈与交換
- いけにえの儀式で用いた動物を全員で分け合う
ホメロスの世界よりもっと洗練された文明が東方にあった。メソポタミアである。都市が作られ、大規模な農業や官僚制が整備されていた。そこでは文字・数学・会計が発達した。p.60
しかし、メソポタミアでもマネーは使われていなかった。p.67
3章 エーゲ文明の発明
ドルなどのマネーは何を測っているのか。答えは経済的価値である。p.77
経済的価値は普遍的で、ありとあらゆるものにあてはめることができそうだ。サービスにも価値がある。時間にもある。精神世界にすら価値があるかもしれない。贖宥(免罪符?)がそれだ。人の命すら値段がつけられうる。p.78f
メソポタミアのようなマネー以前の文明には、普遍的な経済的価値という概念が欠けていた。p.82
古代ギリシャに東方の会計制度や数学が流入したことで革命が生じた。マネーが誕生したのである。ギリシャには普遍的な価値という概念がすでにあったからである。いけにえを分け合うという儀式がそれを提供した(?)。pp.86-88
マネーの一つ目と二つ目の要素がそろったことで、譲渡可能性という要素も登場した。p.91
感想・疑問点など
- 翻訳が微妙。訳文自体はこなれていると思うのだが、同じ英単語に対する訳語が安定してないように思える。"money" が「マネー」だったり「貨幣」だったり。"credit" が「債権」だったり「信用」だったり。あと、原著とは違うところで段落を区切ったりするのは本当にやめてほしい。議論の構造がめちゃくちゃになる。
- 1章で、アリストテレスをアダム・スミスなどと並べて貨幣商品説のルーツに位置づけているように見えたのだが、これは大丈夫なのだろうか。例えば、岩井克人『貨幣論』を見ると、アリストテレスは貨幣法制説のルーツとされている*1。マーティンが参照している『政治学』の箇所に関しても、この箇所を貨幣商品説を述べたものとする解釈は(古くは中世のスコラ哲学者、新しくはシュンペーターにみられるものの)間違いだとされている*2。私にはどちらが正しいのか判断できないけれども。
- ホメロスの叙事詩に描かれているような古代ギリシャの世界では、マネーは存在しなかったものの、いけにえを共同体の成員が分け合うという儀式があったために、普遍的な価値というマネーの構成要素があったという話が3章にあるが、そもそもこれがどういう理屈なのかさっぱり理解できない。註8には、この仮説を証明するのは難しいと書かれているが、そもそも仮説の意味がわからん…。