Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

『概念記法』における命題論理の公理

フレーゲ『概念記法』における命題論理の公理は6つある*1。その中で

  •  (D→(B→A))→(B→(D→A))

が実は余計だったということが後で分かったという。また、

  •  (B→A)→(¬A→¬B)

という公理ではなく、これの逆を採用していれば3つで済んだのに、という話もある。

しかし、こういう若干の無駄があるとはいえ、概念記法の公理系はとてもよく考えられている。例えば、

  • ¬¬A→A

を外すだけで、直観主義論理に早変わりするのは、モジュール的である。そして、

  • A→(B→A)
  • (A→(B→C))→[(A→B)→(A→C)]

の2つを公理に選んだのは慧眼としか言いようがない。まず、これらの公理は演繹定理を証明するのに非常に便利である。一般に、「演繹」とは式の列のことであり、演繹定理が成り立つのを示すには、演繹を書き換えてやる必要がある。例えば、列の中にある2つの式(B→C, B)からmodus ponensを用いて式(C)を導出する場合、前提をAとすると、これは次のように書き換えられる。

  • A→(B→C), A→B / A→C

この推論は、正に[A→(B→C)]→[(A→B)→(A→C)] そのものだったりするのだ。また、これら2つの公理は、コンビネータ論理のKS に相当する。論理学の原理といえば、同一律、無矛盾律排中律の3つが挙げられるのが普通だった(?)時代に、これらの原理を論理学の基礎においたのは、異常に優れた洞察だった。

ちなみに、ウィトゲンシュタインの『論考』は、フレーゲラッセルを念頭において、論理学において公理と推論規則を使用することに反対した。

6.1265 論理学の命題のすべては同等に権利づけられている。それらのうちに本質的に基本法則と演繹された命題とが存在するわけではない。

真理表でチェックすれば、ある命題がトートロジーかどうかはすぐに分かる。だから、このウィトゲンシュタインの指摘は一見もっともである。しかし、これはツマラナイ指摘だと思う。フレーゲの公理系は結果として完全だったし、上で考察したように理論的に面白いポイントもある。

Postscript (2014/8/18)

岩波文庫版『論考』の訳注99で、『草稿』の付録IIからの引用で「原子命題」とあるけど、原語は"primitive propositioins"であって"atomic propositions"ではないので、これはミスリーディングな訳だと思う。この箇所でウィトゲンシュタインが意図したのは、フレーゲが公理に据えたA→(B→A)のような命題のことではないかと思われる。