チョムスキーは毀誉褒貶の激しい人で、言語学者の中にも彼を毛嫌いする人は多い。それにしても、チョムスキーを嫌っている言語学者が、チョムスキーについての入門書を書いていたりするのは理解しがたい。例えば、田中克彦『チョムスキー』とか町田健『チョムスキー入門』など。これらはネットで調べた限りすこぶる評判が悪い。なぜ自分が嫌ってる対象・分野についての入門書をわざわざ書くのか…。
構造主義者のチョムスキー批判は誤解に基づくことが多いのであまり参考にならない。たとえば、ソシュール研究者の丸山圭三郎が書いた新書『言葉と無意識』にこんな箇所がある(pp.153-155)。
表層、深層という用語を使うアメリカの言語学者N・チョムスキーが言葉の表層的研究にとどまる典型であることは皮肉な話である。彼にとっての深層とは、[…]観念の領域であり、これを表層に顕在化したのが物質ということになる。しかし、観念ほど表層的ロゴスの産物はないであろう。彼は意識の表層を物質と観念に二分して、後者を深層と考えるだけのホリゾンタルな思考からぬけ出してはいないのである。
[…]
したがって、チョムスキーの生成文法は、生成とか深層と言っても、所詮は一切の分節に先立って存在するスタティックな精神的鋳型の仮説に過ぎない。そしてこの仮説こそ、チョムスキーが信奉するもう一人の哲学者・デカルトが受け継いだ西欧形而上学の伝統<主/客>の枠組であり、近くはドイツ観念論の主体=精神という図式であることが容易に見てとれよう。
何を言っているのかよく理解できないのだが、チョムスキーは「生成」とか「深層」という言葉を俺が興味深いと思う意味では使ってない、という程度の批判でしかないように思える。チョムスキーが意図している[と丸山が考えている]「深層」の用法は、チョムスキー自身が念頭に置いているであろう用法とは重ならないからだ。
後年のチョムスキーは「表層構造」と「深層構造」は彼の文法理論のテクニカルタームであって特に深遠な意味をもたないことを強調している。素人が書いた文章では「深層構造」を「普遍文法」に置き換えると意味が通ることが多いと言っている*1。この方針は実際、多くの場合うまくいく。私が気づいた例を挙げると、
「文の理解は根底にある基礎的な構造(深層構造)によってなされ、人間間の言語による相互理解も可能になるのである」(中村雄二郎『術語集II』p.102)
「チョムスキイによれば、人間の言語活動には無意識的で普遍的な深層構造が存在し、これから各言語に固有の返還規則を通過して、個別の言語現象が表層構造として表れる、と言う。この深層構造が人間に普遍的な「言語能力であり、これは、先験主義そのものである」(上野千鶴子『構造主義の冒険』p.193)
などがある。ただまあ、チョムスキーは新しい用語を導入するのがあまり器用でない人、という印象はある。「深層構造」が典型的だが、他にも誤解を招きやすい用語があるんじゃないかと思う。ピンカーも、「主題役割thematic role」は主題とは大して関係ない、とか言っていたと思う。