話題の映画『永遠の0』を見に行ってきた。悪くない映画だと思ったのだけど、1週間ほど前はそれほど乗り気でなかった。というのも、池田信夫氏がこう言ってたからのを読んだから。
私は見てないけど、『永遠の0』の落ちは「特攻隊は家族のために死んだ」という話でしょ。これはよくある美談だけど、そんな身近な目的で人間は死ねない。超越性を知らない日本人が300万人も「天皇陛下バンザイ」で死んだのは驚異というしかない。
— 池田信夫 (@ikedanob) 2014, 1月 3
その後、知人から強く薦められたので、一応見ておこうということになった。結果、池田の予想は全く間違いだったわけだが、彼に対するリプライも同じく的外れに思えた。
だそうですが、こんな世俗的な目的であんなに死んだのは世界史的な驚異。"@taiaado: おちは妻のために卑怯者のレッテルを背負っても最後まで生きようとした男が、後輩のために、その生きる道を最後の最後で譲ったという感じですね"
— 池田信夫 (@ikedanob) 2014, 1月 3
少なくとも私はこういう風には思わなかった。特攻に志願した理由の説明なら、戦闘機乗りの教官として、自分より若い教え子たちを死地に送り出しつづけたことで精神がおかしくなってしまったから、で十分のはず(言葉にしてしまうと随分軽いが、しかし、映画では岡田クン扮する主人公が同僚の凄腕パイロットにくってかかるシーンはよかった)。後輩のために譲ったからというのは変で、むしろ譲らないと死ねなかったから、ではないのか。
なので、池田に対するリプライは的外れだし、そもそも映画を見ていない池田の反応も的外れだと思った。もっとも、映画に対する認識は違ってはいても、特攻とか太平洋戦争に対する認識は、私と池田とでそれほど違ってはいないと思う(彼の他の記事とかを読む限り)。
兵士は内地に残した家族よりも最後には同僚たちのことを気遣ってしまう、という話は割と耳にする。私の場合、『マブラヴ オルタネイティブ』というギャルゲーのなかでそういう会話が出てくるのを目にしたのが最初で、この作品は単なるフィクションなのに、この見解にはとても説得力を感じたのを覚えている。たぶん正しいのだろうと思う。『永遠の0』に関しても私が感銘を受けたのはこういう部分だった。
Postscript (2014/1/27)
こういうまとめ記事を見た。
この監督は戦争映画をみたら、国威発揚だとか戦争賛美だとかそういう感想を真っ先に思いつく人なのかな。だいぶ前に読んだ宮台真司の本(たしか『憲法対論』)で、リドリー・スコットの『ブラックホークダウン』について「単なる国威発揚のための映画だ」みたいなことを井筒氏が言ってると批判的に紹介していたのを思い出した。なんというか浅ましいよね。あと、2chで井筒氏をけなしている人々が、どう見たら『永遠の0』が特攻を美談にしていると見えるのか、と真っ当なことを言ってて安心した。