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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

ゲーデルの定理(3)

だいぶ古い(2011年12月)けど、数学エッセイストの小島寛之氏の記事から。

これざっと眺めたけど、最終的にこの人が適切な理解に至ったのかよく分からない…。少なくとも、最初の記事がかなりメタメタなのは明らか。例えば

PA(ペアノ公理系)というのは、明確な演繹規則を備えた自然数に関する公理系のことで、我々の頭の中の(数学者の頭の中の、というべきかもしれない)自然数の公理系とは別の存在である。我々の頭の中の自然数のシステムを、区別するために、「標準モデル」と呼ぶ。この定理の証明では、ざっくりとまとめると、PAの次の性質が本質的と(ぼくには)思われる。

(i)PAは、述語論理である。 

真の算術(true arithmetic)は公理化できないので、まず「頭の中の自然数の公理系」という言い方がやばそう。それを「標準モデル」と言い換えていることから、公理系とモデルを混同してそう。最後の「PAは述語論理である」に至っては何を言っているのかがまるで理解できない。PAは一階述語論理の言語で定式化される公理系だけど、述語論理と同一視されるようなものではない。

3つ目の記事の追記という箇所では

命題論理の体系に素論理式またはその否定を公理として加える、ということは、PAにだって対応する操作を行うことが可能で、そうすれば完全な理論になるのは同じ。だから、ぼくの主張した「不完全性定理は述語論理だから可能」ということは全く的を射てない

とある。しかし、「PAにだって対応する操作を行なうことが可能」とか言っている時点で、命題論理や述語論理の「完全性」と算術の「不完全性」が根本的に違うものだということを理解しているのかどうかを疑う。なんで命題論理の完全性の話をしているときに、リテラルみたいにあからさまに論理外の式を公理にするとかいう話になってるんだ。突っ込んでいた先生もこの辺でウンザリしたのかもしれない。

2012年に書いた新書では、証明可能性論理にも触れているらしいけど

怖すぎる。