先日、高校の後輩を相手に「哲学とは何か」みたいな話を偉そうにした。もう少し具体的に何を話したかというと、『言語哲学大全I』の冒頭に書かれているようなこと、「ヴィジョンとしての哲学じゃなくて〜」などという話をしたのだ。だけど、今思うと、かなり直球すぎた気がする。哲学科の学生がやっていることはどうせ哲学史だと思われているのだから、そういう先入観にあまり水を差さずに、昔の哲学者の話でもすればよかったのだと思う。のんびりと。
でも何を話そうか? こんな話はどうだろう。
古東哲明氏は、哲学者はエイリアンのようなものだという。特に古代世界において、哲学者の地位はかなり周縁的というか、あぶなっかしいもので、涜神の罪をきせられるのは割とよくあることだった。
例えば、『アレクサンドリア』という映画があって、この映画はアレクサンドリア図書館の破壊と聡明な女性哲学者の殺害を描いている。この映画において、キリスト教徒は完全なる悪役として扱われ、全員真っ黒な衣装に身を包んでいる。ローマ帝国末期、テオドシウス帝によって図書館をキリスト教徒に明け渡す命令が出された。狂信者たちが図書館になだれ込み、異教徒(pagan)たちの書物をゴミくずのように破り捨て燃やしてしまう。[この場面で流れるBGMは荘厳で力強く、とても格好いい]
実際にはアレクサンドリアの都には幾つも大図書館があったようだが、キリスト教徒の攻撃によって失われた古代ギリシャの文献は膨大だろう。古代原子論(レウキッポス、デモクリトス)、ストア派(クリュシッポス)などの文献は全体の1%も残っていないだろうが、基本的には殆ど破壊されてしまったということになる。[残ってない文献について、トータルでどの程度あったのかを見積もるのは難しそうだけど、『哲学者列伝』とかを参照するんだろう…たぶん]
プラトンやアリストテレスの文献にしても、相当量が失われているはず。しかも、プラトンの対話篇は、ソクラテスの対話相手が外人や若者ばかりなのが気になるところだ。彼らは決して社会の中核を担う人々ではない。ソクラテスが基本的にはこういうマイノリティを相手にしていたという描き方は、彼を無害化するという効果があったのかもしれない。
まぁ、ともかく宗教的に迫害されたのは近世初期の科学者だけではない。哲学が(というか学問一般が)価値的・政治的に中立になれるのはいいことですよね。
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