Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

不文の教説

古代の哲学者に関する記録はあまり残っていないわけだが、彼らは文書に書き留めたり公の場で発言するといった仕方で明示的に発表した教義のほかに、親しいごく少数の人々の間でのみ秘密の教義を共有していた、という伝説もある。

この種の伝説は近世に入っても信じられていたようで、例えば、ジョン・ロックは晩年の著作『キリスト教の合理性』で、ソクラテスが処刑された理由を次のように推測している(岩波文庫版p.312f)。

人類の中の理性的で、ものを考える人たちが、…一人の、至上で、不可視の紙を発見したことはたしかである。しかし、彼らがその神を認め、崇拝した場合でも、それはただ彼ら自身の心の中だけでそうしたにすぎなかった。そうした人々は、その発見した真理を秘めごととして自分の胸のうちにしまい込んで、あえて人々にそれを公表することは…しなかったのである。

[中略]

人類の中で、アテナイ人以上に、優れた資質を持ち、あるいはその資質をより陶冶して、偉大な理性の光を手にし、また、さらにあらゆる種類の思索においてその理性に従った人々はいなかった。しかし、そのアテナイ人の中にあって、ただ一人、ソクラテスだけが、彼らの多神教と神に関する臆見とに反対し、それを嘲笑したが、われわれは、そのために彼が彼らによってどのように報復されたか知っている。また、たとえプラトンや哲学者のうちでもっとも分別のある人々が、単一の神の本質と存在とについてどのように考えていたとしても、彼らは、外面的な信仰告白と礼拝とにおいては、進んで民衆と歩みをともにし、法によって定められた宗教を守った

実際には、おそらくソクラテスが処刑された理由はもっと政治的なものだろうと思われるが…。

プラトンは古代の哲学者としては例外的に大半の著作が残っている人物だが、彼の著作の大部分はソクラテスを主人公とする対話篇で、プラトン自身はほとんど姿を現さない。プラトン自身の見解だと明示的に断定できる箇所を見出すのは難しいわけだが、アリストテレスの報告するところによれば、プラトンには彼の学園であるアカデメイアの中だけで共有されていた不文の教義(unwritten doctrine)があった(『自然学』209b)。いったいどんな教説だったのかは、そもそもそんな教義があったのかという点も含めて、謎である。

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