Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

どのような名前で呼ばれようとバラはバラ

What's in a name? That which we call a rose

by any other name would smell as sweet

(名前がなんだというの?バラと呼ばれるあの花は

ほかの名前で呼ぼうとも甘い香りは変わらない)

ジュリエットはロミオに「モンタギュー」という名前は重要じゃないから捨ててくれ、という。

この「どのような名前で呼ばれようとバラはバラ」という詩的なフレーズは、言語哲学では(外延的な文脈における)単称名の交換可能性をあらわす原則を表現するためによく使われる*1。二つの単称名a, bがもし同じ対象を指示するのなら、別個のイミ(Bedeutung)を用意する必要はない。なぜなら、文中のaをbに置き換えても、文全体の真理値は変わらないのだから、指示対象以上にきめ細かなものをイミとして措定する理由はない。単称名のこういう特徴を「シェークスピア性」と最初に言ったのはピーター・ギーチらしい。

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*1:飯田隆言語哲学大全I』p.111, 大澤『恋愛の不可能性について』(ちくま学芸文庫)p.76, 287n8