Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

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千葉雅也の次のツイートは色々考えさせられる。

ギャンブルってぜんぜん興味ないんだよ。だって損する可能性があるんでしょ。端的に言って、絶対に損したくないもん。ところで、ヘーゲルの翻訳をしっかり読み込むというのは、どうやっても絶対に損しない行為だね。だからヘーゲル読む方がいい。https://twitter.com/masayachiba/status/779503687215353856 

思うに、「しっかり読み込む」というのがポイントであり、中途半端にヘーゲル著作に手を出して意味が分からないと投げだして結局何も身につかない、という可能性は考慮に入れられていない。(理解できるまで)読み込むという行為は、定義によって損をしない行為なのだろう。

たしかに、これは意地悪な難癖であって、中途半端なところで投げだしたら何も得るところはないというのは何事にも当てはまる。しかし、多くの人にとってヘーゲルは超難解なのであり、「しっかり読み込む」という行為が成立するために投入しなければならない労力は相当なものだと予想される。それだけの労力を投入できる人はごく少数にとどまる以上、千葉のアドバイスは一般向けに受け取られるべきではないと思う。ちなみに、私だったらフレーゲを推奨しますかね。

常識的に考えて、分析哲学はフランス現代思想とかと比べて、コスパとか元をとるまでに必要な労力とか圧倒的にハードルが低いだろうと思う。これは私が分析哲学にシンパシーあるからというだけでなくて、哲学史に造詣の深い人ならみな思ってることなんじゃないか、と。例えば、坂部恵『ヨーロッパ精神史入門』には、ラカンの情報概念を理解するためにはどのくらいのバックグラウンドが必要なのかを説明してる箇所とかあるけど*1哲学史の素養のない人間からすると絶望的な気分になるよね。

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