Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

『日本人のための宗教原論』

この手の本は、宗教に関する日本人の誤解を正す、といった体裁をとることがよくあるが、読むたびに「本当にこれでいいのか?」と思うことが少なくない。この本の場合、イスラム教は別にしても、キリスト教と仏教には天国・地獄なんてものはない、と断言してる(p.60-)。

ダンテ『神曲』には地獄・煉獄・天国が出てくるではないか、などというなかれ。あれは文学作品であり、ダンテのイマジネーションにすぎない。キリスト教は地獄・天国など説いてはいない(p.60)。

これはたしかに、一抹の真理を含んでいるのだろう。聖書の中に天国・地獄の描写はほとんどなく、天国・地獄についての具体的なイメージを与えてくれるのはむしろ『神曲』などの中世文学、というのは多分そう。でも、キリスト教のほとんどの宗派は天国・地獄を認めてるようだし…。特にカトリックは聖書のいろいろな記述を解釈して、天国・煉獄・地獄の存在を証拠立ててる。私は非キリスト教徒で、聖書が聖霊の助けを借りて書かれた神聖なテキストだとは思ってないが、宗教社会学の本ならそういう実情を無視して上のように断言してしまうのはいかがなものかと思う(日本人だけの「誤解」じゃないのでは?という意味で)。

小室は、日本人のキリシタンバテレンは壮烈極まりない殉教で世界の人々を感嘆させたがキリスト教の教義の理解が十分であったならば容易に隠したままで押し通せたはずだ、踏み絵に使う板なんぞ、何が描いてあると被造物に過ぎない、偶像崇拝は厳禁されているではないか、とも言ってる(p.118)*1。これはありうる立場だとは思うが、仮にそうだとしても、上と同様に「日本人だけの無理解」ではないと思う。例えば、マーティン・スコセッシの映画『沈黙』で、ヨーロッパ人の宣教師は踏み絵を踏むことに否定的であり、拷問(を見せつけられた)後に実際に踏むことになるが、イエスの像の上には土埃がついていない演出になっている。

*1:cf. 小室『論理の方法』p.284