Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

free, meinongian, inclusive

古典的な一階論理から踏み外す3つの方法について考えてみる。

  • タームの指示対象は量化のドメインのメンバーである。

自由論理free logicでは、この仮定が外れる。「ゼウス」みたいな名前は指示対象がないか、あったとしてもゼウスは量化のドメイン外に置かれる。

自由「論理」というくらいなので、古典論理とは異なる論理であり、古典論理の妥当式が妥当でなくなったりする。例えば、「∀xFx → Fa」のような全称例化は妥当でない。そういうわけなので、「あらゆるものはいずれ滅びる」と「ゼウスは不滅である」を両方認めたい人には、自由論理は好ましい論理かもしれない*1

マイノング的意味論では、この仮定が外れる。量化のドメインは、存在するものと存在しないものをどちらも含む。「∃x¬Ex」のような式が書ける。この式の「∃」は文字通り「いくつかの」といった意味であり存在措定していない。「(虚構的対象のように)存在しないものもあるよね」などと言いたい人は、この意味論を好ましく思うかもしれない。

この意味論の素晴らしいところは、論理を変えるわけではないところ。先に挙げた全称例化の式も妥当である。1階の存在述語Eを導入するだけのこと*2

inclusive logicはこの仮定を落とす。ドメインが空の場合、存在量化文がすべて偽になるというのがポイントになる。例えば、「∃x x=x」は古典論理の妥当式だが、量化のドメインが空なら偽なので、inclusive logicでは偽である。論理学は特定の存在にコミットしないのだから、存在量化文が論理的真理になるのは変だ、という人はこの帰結を好ましく思うかもしれない*3

ドメインが空の場合、存在量化文がすべて偽になる一方で、全称量化文はすべて真になる。例えば、∀x (Fx & not-Fx) は真となる。古典論理ではこれの否定が妥当式なのだが。

自由論理とinclusive logicはいちおう区別すべきである。タームの指示対象が量化のドメインのメンバーとは限らない、と言いつつ、量化のドメインは空でない、と取り決めることはできる。その場合、全称例化は妥当式でなくなるが「∀xFx → ∃xFx」は妥当式であり続ける。inclusive logicではこれは妥当式でない。

ただし、自由論理とinclusive logicは組み合わせて使われることがよくある。その場合は普遍的な自由論理(universally free logic)とかいう。

*1:cf. 飯田隆言語哲学大全』3巻

*2:cf. タフコ『アリストテレス的現代形而上学』所収のクレイン論文。

*3:cf. ラッセル『数理哲学序説』、クワイン『論理的観点から』第9論文