Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

イオタとラムダ

確定記述を使った主語述語構文 "The F is G." を標準的な述語論理の言語に翻訳すると

  • ∃x(Fx & ∀y(Fy → x=y) & Gx)

となる(ラッセルの記述理論)。ただし、述語論理の言語にイオタ演算子ιを付け加えて*1、"the F"を個体を指示するタームのように扱う方法もある。その場合には

  • GιxFx

と書くことができるだろう。

次に、"a is F and G." という文を述語論理の言語に翻訳することを考える。一般的には

  • Fa & Ga

という風に翻訳されるが、もう少し英語の文と構造的に似ている文に翻訳できないものだろうか。そのためには、"F and G"を性質を指示する単項述語のように扱うことを可能にするラムダ演算子λを付け加えるのがよい。そうすると、上の文は

  • λx.(Fx and Gx) a

に翻訳される。イオタ演算子が記述理論で消去できるのと同様に、ラムダ演算子もベータ簡約によって消去できるので、これらの方法は一階言語を本質的には拡大していないと言えよう。

さて、このような方法は結構有名なので、もう誰から教わったのかも忘れてしまったのだが、最近、カルナップの『意味と必然性』がこれを簡潔に紹介していることを知った。

二つの量記号に加えて、二つの他の種類の演算子(operator)が現われる。すなわち、個体記述のためのイオター演算子(‘(ιx)(...x...)' ,‘...x...というような唯一の個体x')と抽象表現(abstraction expression)のためのラムダー演算子(‘(λx)(..x ..)',‘...x...というようなそれらのX の性質(或いは集合)')、もしも文が抽象表現とそれに続く個体定項とから成るとすれば、その文は、 その個体が当の性質をもっているということを語っている。 それ故、‘(λx)(...x...) a 'は ‘...a...' すなわち ‘x' に ‘a' を代入して‘...x...' から形成される文と同じことを意味している。われわれの体系の規則では、‘ (λx)(...x...)a'から‘...a...'への翻訳及びその逆の翻訳が許される。これらの変形は換位(conversion)と呼ばれる*2

読みづらい文章だが、「二つの量記号」は全称量化と存在量化のこと、"conversion" は「簡約」のことだという点に気を付ければ、言わんとしているところは明らかだと思う。個人的に、カルナップがこういう話題も本の中に織り込んでいるとはあまり予想していなかった。流石に勤勉な人だなぁ。そういえば、と。大庭健先生が次のように誉めていたのを思い出した。

この本[注:『意味と必然性』]は、彼が「意味論研究」体系と名付けたシリーズの締め括りとして執筆されておりまして、むしろ「科学言語の論理分析」としての《哲学》体系の仕上げ、とでも言った自負に満ちております。…
実際、これらカルナップの一連の著作は、少なくとも当時においては、大変に良く出来た画期的な本でありまして、《哲学的な意味論》という分野に関して言えば、こんにちの様々な仕事は、その問題設定の仕方をも含めて、このカルナップの著作なしにはありえなかったでありましょう。のみならず、全編これ無味乾燥な分析ではありますが、その姿勢そのもののうちには、あの30年代の初頭に「血と地の神話」が科学の名において適用させられることに対して、あくまで「哲学」の立場からも抵抗しつづけたカルナップの真面目さが窺われるのでありまして、かかるカルナップの一連の仕事を端から軽視してかかるのは、あまりにも軽薄に過ぎる、と申さねばなりません*3。 

「意味論研究」体系のシリーズとは、『意味論序説』、『論理学の形式化』とここで挙げた『意味と必然性』の三冊。すべて日本語に翻訳されてるのが凄い。

しかし、「30年代の初頭に「血と地の神話」が科学の名において適用させられることに対して、あくまで「哲学」の立場からも抵抗しつづけたカルナップ」というのはよく分からないな。ナチスにそんなに抵抗したのだろうか。伝記をちゃんとチェックしないといかんね。

*1:正確には、ギリシャ文字イオタを上下に反転させる。

*2:『意味と必然性』p.14.

*3:『はじめての分析哲学』p.95