Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

子供の教育

ヤマザキマリテルマエ・ロマエ』2巻から。

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子供を勇敢さを身につけた戦士に育て上げるには、玩具を用いたりして楽しみながら行うのがよい。こうした教育観は、実は、プラトンの『法律』に原型が見られる…。そんな話を知人から聞いたことがある。最近、『法律』を手に取る機会があったので、ふと思い出して調べたら、次のような箇所が見つかった(643B-D)。 

わたしの主張によれば、なにごとにせよ、ひとつのことに優れた人物たらんとする者は、ほんの子どものころから、そのことにそれぞれふさわしいもの(玩具)をもって遊戯をしたり真面目なことをしたりして、その練習をつまねばならないのです。たとえば、すぐれた農夫とかすぐれた建築家になろうとする者は、後者なら玩具の家を建てるなり、前者なら土に親しむなりして、遊ばなくてはなりませんし、彼ら両者を育てる者は、本物を模倣した小さな道具を、それぞれに用意してやらなくてはなりません。その上さらに、前もって学んでおくべき教課を、あらかじめ学んでおかなくてはなりません。たとえば、大工なら測定測量のことを、兵士なら乗馬のことを、遊びなり遊びに順ずることなりを通じて、あらかじめ学んでおかねばならない。また養育者は、子どもの快楽や欲望を、そういう遊戯を通じ、彼らが大きくなればかかわりをもたねばならぬものへ、差し向けるようにつとめねばならない。したがって、教育とは、これを要するに、わたしたちに言わせれば、正しい養育なのです。その養育とは、子どもの遊びを通じてその魂を導き、彼が大人になったときに十分な腕前のものとならねばならぬ仕事、その仕事に卓越することに対し、とくに強い愛着をもつようにさせるものなのです。

たしかに、これは、アテネの競合相手であったスパルタ教育に対して向こうを張るような教育観なのだろう。

『法律』はソクラテスが登場しない対話篇である。この対話篇の主人公はアテナイからの客人。対話篇の大部分をこの人物の発話が占めていることから、彼がプラトンの代弁者だと考えられている。上に引用したのもアテナイからの客人のものであるから、おそらくプラトンもこのような教育観を抱いていたと思われる。