Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

科学を語るとはどういうことか

 最近読んだ本。

なかなかドギツイ表紙である。副題は「科学者、哲学者にモノ申す」。通俗的な哲学本で因果性について胡散くさいことが書いてあるのを見て驚いた物理学者の須藤先生が、いったい哲学はどういうことになってるんだ、という不信感をもって科学哲学者の伊勢田先生にいろいろ質問するという趣旨。

お互いの関心がなかなかかみ合わなくて、読んでいて隔靴掻痒の感があるが(話している当人たちはもっと痛感してるだろうけど)、読んでいて楽しい本である。当然ながら須藤先生は哲学のことをあまりご存じないわけだが、随所に鋭い突っ込みをしていて、非常にいい。個人的には、パラダイム転換にともなうクーンロスに関するコメント(2章p.57あたり)にしびれた。

科学実在論論争についての章もある(5章)。須藤先生は反実在論(ファン・フラーセンの構成的経験主義が念頭に置かれてる)の内容・眼目を理解するのに苦しむことになる。須藤先生の不満はこんな感じだろうか。量子論に関して、コペンハーゲン解釈をとるか多世界解釈をとるか、といった話題にはコミットしないという話であればまぁわかる(p.201)。でも、肉眼で観察不可能な事柄についてはコミットしないとか言われると「やれやれお話にならない、と判断してしまう」(p.222)。個人的には、ここは伊勢田先生にもう少し踏ん張ってほしかったところだが、もう十分すぎるほど頑張ってるような気もするので無いものねだりかもしれない。

なお、1章では哲学への不信つながりでソーカルとブリクモンの例の本に触れている。須藤先生はハッキリと

本来、比喩というのは、そのままではわからないことをより平易な例を用いて理解してもらうために用いるべきものです。内容がないからこそ、だれも理解できないだろう、とたかをくくって、めちゃくちゃな科学用語の乱用で煙に巻く。そんなことは決して許されるべきではありません。p.24

筆が滑った程度のことで済ませて良いようなレベルなのでしょうかねえ。p.25

と言っている*1。私も「まったくその通りだなぁ」と思うが*2、伊勢田先生は注意点として、例の本で批判されている人々は一枚岩ではなく科学社会学者とかも含まれてること、この本で批判されてる人々が哲学者の代表というわけではないことなどを指摘してる。まぁそれでも、

ラカンのように中心的な主張でわざとそういうことをやっている人はやっぱり別扱いになると思います p.36

と切り捨ててるのには草生える。

他にも、哲学業界における査読制度の説明とか、哲学には大きく分けて論理学・認識論・形而上学・価値論の四つの分野がある、みたいな説明もされている。この辺は、哲学業界をよく知らない人(かく言う私も)に有益な情報であろう。