Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

ゲティア事例

1963年の論文で、エドマンド・ゲティアは知識の古典的定義に対する反例を提出したとされる。知識の古典的定義とは「知識=正当化をもつ真なる信念(justified true belief)」というもの。通称、JTB分析である。

以後、ゲティアの反例を回避するにはJTB分析にどのような修正を施せばいいのか、ということが問題になり(ゲティア問題)、さまざまな提案がなされた。それと同時に、ゲティア以前にも似たような思考実験による反例が提示されていたのではないか、ということも話題になった。よく挙げられるのはマイノングやラッセル。たぶん彼らは、JTB分析への反例を意図していたわけではなく、知識=真なる信念、という等式への批判を意図していたのだが、後から振り返ってみると、JTB分析への反例にもなっているのでは…、というのが実情だと思われる。例えば、邦訳のあるチザム『知識の理論』3版では、マイノングの反例として、風琴が庭に置いてある家の老人が、だんだん聴力が弱りたまに幻聴を経験するようになったという状況設定で、ある日、風琴の音が聞こえて風が吹いたと信じたケースが紹介されている。

しかし、もっと最近の認識論の入門書をみてみると、ゲティア事例はインド哲学においてずっと昔に提示されていた(770年頃のDharmottaraという人)、という驚くべき話も紹介されている*1。それどころか、ゴールドマンの知識の因果説みたいなものまで考案されていたとか(14世紀のGan.geśaという人らしい)。本当かどうか調べる術が私にはないけど、「〇〇を一番最初に考えたのは誰?」という疑問には簡単に答えが出せない、といういい例だと思う。

*1:Jennifer Nagel, Knowledge, OUP.