Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

変換の概念

レヴィ=ストロースの伝記『遠近の回想』を流し読みした。伝記といっても、自分のキャリアについてレヴィ=ストロース本人がインタビューに答えるという体裁をとっている。会話なので読みやすい。

アメリカに亡命したとき、名前をClaude L. Straussにしよう、と言われたらしい。ブルージーンズの商標と同じだから、学生に笑われてしまう、と。そんなわけで、アメリカで暮らしていた数年間は姓の前半分を切除されていたらしい(p. 61)。橋爪大三郎の『はじめての構造主義』冒頭で、繁華街を歩いていてLevi Straussという文字列をみて構造主義がこんなに流行ってるのかと思った、という冗談みたいな話が紹介されていたのを思い出した。この偶然の一致は本人にとってもいろいろ不便だったのだね。

もうちょっと真面目な話題としては、変換の概念はどの分野からきているのか、という質問に対する答えが面白かった(pp. 206-207)。本人によると、この概念の着想は、言語学でも論理学でもなく、ダーシー・トムソンの『生物のかたち(On Growth and Form)』(1917年)という本からきている。なんでもトムソンは、動植物の同じ属のなかでの種相互の、あるいは器官相互の目にみえる違いを、変換によって解釈しようとしたのだとか。そして、この考え方には実に長い伝統がある。トムソンの前にはゲーテの植物学、その前にはデューラーの『人体比例論』…といった系譜がある。

ダーシー・トムソンという名前は昔どっかで見たような気がしたので、しばらく考えて、ドーキンス『延長された表現型』の1章に出てくるのを見つけた。たぶんこれで記憶していたのだろう。ドーキンスはこんなことを言っている(pp. 17-18)。 

ダーシー・トムソンの著名な「変形の理論について…」の章は、ある仮説を前進させたものでも検証したものでもないけれども、重要な仕事であると広く認められている。ある意味で、どんな動物の形も数学的変換によって類縁関係にある動物の形に変えられるということは、その変換が必ずしも簡単とは明白には言えないにしても、あきらかにその通りであり、必然的でもある。ダーシー・トムソンは数多くの例について実際に変換してみせているが、それでもなお、科学とは特定の仮説の反証によってのみ進歩すると主張すれば十分とする潔癖な人々から「それで、だからどうなんだ?」という反発を招いた。ダーシー・トムソンの章を読み、われわれが以前知らなかったことでいま新たに知ったことは何かと自問してみたとしよう。その答えはそれほど多くはないかもしれない。しかし、われわれの想像力は刺激され輝いている。われわれは立ち戻り、動物を新しい方法で眺める。そして理論的問題を、このばあいは発生学の、系統学の、さらにその相互関係を新しい方法で考えることになる。 

この引用箇所につづけて、ドーキンスは、自分の本でも似たようなことをやるのだ、と宣言する。まぁそれはともかく、レヴィ=ストロースの回想によれば、トムソンの本というのは人類学にまで影響を与えたわけだ。

Postscript (2017/9/30)

レヴィ=ストロースがダーシー・トムソンに影響されたという上述の話、ちくま新書小田亮レヴィ=ストロース入門』pp.52-55 あたりでも普通に紹介されていた。小実際にトムソンの本から「魚の座標変換」とかいう図も引用していて、イメージをつかみやすい。

しかし、小田本は、インセスト禁忌の説明の箇所で「遺伝的弊害じたいがじつは証明されていない」(pp.84-85)と書いていたりして残念だ。それに、誤植も結構ありそうだ。「子音三角形と子音三角形とのあいだの<変換>」(pp.73-74)とか、同性での結婚になっているp.109の図13とか。