Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

未開人の思考

カリエラ族の婚姻規則がクラインの四元群によって表現できるというレヴィ=ストロースの発見を紹介した後、橋爪大三郎は次のように述べている*1

これは、なかなかのことではないだろうか。

ヨーロッパ世界が、えっちらおっちら数学をやって、「クラインの四元群」にたどりつくまで短くみても二千年かかった。つい最近まで、だれもそんなもの、知らなかったのである。ところがオーストラリアの原住民の人びとは、だれに教わらないでも、ちゃんとそれと同じやり方で、大昔から自分たちの社会を運営している。先端的な現代数学の成果とみえたものが、なんのことはない、「未開」と見下していた人びとの思考に、先回りされていたのだ。 

規則に単に合致していることと規則に(意図的に)従うことを区別しないから、こういう結論が出てきてしまうのだと思う。しかし、この区別は進化生物学の議論を参照するときには、必ずわきまえておくべきではないだろうか。

例えば、血縁選択についてのドーキンスの解説をみてみよう*2。彼はまず、サーリンズによるハミルトン批判を次のようにまとめる。分数は世界の言語においてまれにしか見られない。いわゆる未開社会には欠けている。動物たちがいかにして近縁度 r = 1/8 などと計算できるのか、と。ドーキンスはこれに続けて、次のように述べてハミルトンを擁護する。例えば、カタツムリの殻は対数螺旋を描くが、対数表をもっているわけではない。それでも、こういうケースで数学を適用することを誰も否定しないだろう。それなら、血縁選択において数学を適用することにも問題はないのでは?

一応の注意だが、橋爪の議論を否定したからといって、未開社会の人々を見下していいという話にはならない。上の議論だけでは、我々が彼らの思考に先回りされている、とは言えない、というだけ。

関連記事

 

*1:『はじめての構造主義』p.181

*2:利己的な遺伝子』pp.452-454