Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか

知り合いから強く薦められたので読んでみた。たしかに、著者は博識で興味深い論点もいくつか提示しているとは思う。wikipediaによると「左翼の小室直樹」と呼ばれてるそうだが。文章のスタイルは(私の知る範囲だと)柄谷行人とかに近いと思った*1

旧来の左翼に批判的なことも言ってるはいるが、ローマクラブは1972年の報告で「成長の限界」を科学的に証明した(p. 140)とか、昨今、ブラック企業など搾取というしかない現象が復活しているのは資本主義の没落の印で、企業は人件費の切り詰めによってしか利益を出せない(p. 140)といった断定などは、いかにも左翼的だ。

本書のタイトルは『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』だが、章ごとの独立性が高く、資本主義が本書の問題意識というわけでは必ずしもない。むしろ、資本主義の誕生も含めた様々な事象に対する一種の文化決定論こそが全体を貫くモチーフと言える。著者によればキリスト教が諸悪の根源である。ヨーロッパの世界制覇、科学の誕生、資本主義の誕生、環境破壊などに、いちいちキリスト教を絡めてくる。

こういう考えは必ずしも著者独自の突飛な思いつきというわけではないだろう。環境破壊とキリスト教の関連などは、リン・ホワイトの仕事が背景にある。こういう意見にはキリスト教の側から色々反論があるだろう。私自身はキリスト教徒ではないが、それでも、「創世記」冒頭の記述が人間は自然を好き勝手にできるという傲慢を正当化しているといった俗説はマユツバだと思う*2。近代の資本主義こそが精神病の原因だという意見にも賛同できない。著者は、今どきの精神医学は精神病の生物学的要因ばかり求めて文化社会的要因を無視している、と批判する(p.129)。しかし、未開社会には統合失調症が存在しないわけではないし、統合失調症をもっともよく予測するのは一卵性双生児が統合失調症であることだということも踏まえるなら、生物学的要因に注目するのは当然だと思う。

なお、本書には日本史について論じている章もある。「私は日本史についてそれほど知識があるわけではないので、本来なら語る資格などないのだが~」と前置きしているのには少し笑ってしまった。ヨーロッパ史とかヨーロッパ思想史なら語る資格があると思ってるんだなぁ、と。その数ページあとで、「古事記」と「日本書紀」という「国史の書が二つもあり、その色合いが違うことは問題にされたことがありません」(p. 203)と言いきってる箇所があったりして、ホントかね?などと思った。

*1:あくまでスタイルの話であって、同じこと考えているというわけではない。たいした論証なしにズケズケ言うところが似てる。

*2:田川建三キリスト教思想への招待』1章などを参照。野獣に対して支配する権利があるというのは、野獣が農作物を食い荒らさないように捕獲する権利だと田川は解釈する。田川によれば、これは聖書が書かれた古代当時の文脈を踏まえれば自然な解釈だし、中世末期のドイツ農民戦争に参加した農民たちも実際にそう解釈した、とのことである。貴族たちは狩猟を楽しみたいがゆえに、野獣が多く森にいることを期待して農民が野獣を捕獲するのを禁止していたのだとか。リン・ホワイトや関が考えるような創世記の解釈がでてきたのは、せいぜい18世紀以降。