こんな本が出ているのを知った。
個人的には、使用と言及の区別についての解説が印象的だった。例えば
- 昨日は、一日前は今日だった
は一見正しそうだが、昨日は一日前であっても昨日のはずで、正しくは
- 昨日は、一日前は「今日」と呼ばれていた
と言わねばならない。アリスはこの二つを混同したため、言い負かされる。
別の例。白い騎士がアリスにある歌を聞かせようとする場面。騎士はアリスを煙に巻くようなことを言い立てる。色々はしょって整理すると
- この歌は「ゲートの上に座っている」という句を含む。
- この歌の名前は「年とった年とった男」である。
- この歌は「方法と手段」と呼ばれている。
- この歌の名前は「コダラの両目」と呼ばれている。
の4つを騎士は厳密に区別するのだが、アリスはついていけないようだ。八木沢先生は特に2番目と3番目の区別について解説を加えている。名前と違った言葉で呼ばれるものはいくらでもある。例えば、「マクベス」と舞台の上で口にすることは不吉なので、シェークスピアのマクベスのことを「スコットランドの劇」と呼ぶ習わしがある。あるいは、八木沢先生は授業中に眠そうにしている学生を "Mr. Happy Sleeper"とからかって呼ぶそうだが、そんな名前の学生にお目にかかったことはない、と。しかし、個人的にはむしろ、4番目こそが異常に思える。名前を別の言葉で呼ぶって、どういうシチュエーションなんでしょうか…。
ところで、ざっと見たところ、この本の前半は、わりと『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』に出てくる論理パズルに寄り添って、分析哲学の技法を解説している本、という体裁になっているのだが、終盤になると、アリスはどっかに言ってしまって、普通に分析哲学の話をしている、という体裁になっている気がする。
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Postscript (2021-04-17)
『現代思想』(1985年)のウィトゲンシュタイン特集号に所収のジョージ・ピッチャー「ウィトゲンシュタイン、ノンセンス、キャロル」というエッセイが、ウィトゲンシュタインとの関連で、ルイス・キャロルの作品中に出てくる様々なナンセンスの具体例を紹介していることを知った。上の記事であげた例も登場する。このエッセイは辞書的に使えそう。