Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

生存圏

ナチス・ドイツの戦争目的は、ゲルマン人のための「生存権Lebensraum」を確保することであったとされている。すなわち、一つの「人種」、最も純粋であるとみなされた一つの民族が、そこにおいて安全に生存・存在しうる空間を確保しなくてはならない、とされたのである。だが、この戦争への衝動は、さまざまな意味で不可解である。そもそも、一定の公認の領土をすでに所有している民族の存在のために、あえてその領土の外部に、侵略的な仕方で空間を獲得しなくてはならないのはなぜなのか*1

最後の疑問に対する手がかりを得るには、第一次大戦の飢餓体験に遡る必要があると思う。戦争の長期化とイギリス海軍による海上封鎖のため、ドイツ帝国では生活物資や食料は底をついた。戦争3年目の冬は「カブラの冬」といわれ、栄養失調で亡くなったドイツ人は30万人にのぼった。厭戦機運がたかまりストライキがおきた。第一次大戦における餓死者の数は、第二次大戦において空襲で死んだ人間の数よりも多いという。これほど強烈な飢餓を経験したものだから、ドイツは固有の領土だけでは住民を養うことができない、もっと農地が必要だという考えが生じてもおかしくない。第一次大戦後には東プロイセンの農地の大部分を失ったのだから、「生存圏」への渇望はなおさらだっただろう*2。もちろん、こうした利己的な拡張政策は、ヨーロッパの他の諸国にとっては侵略でしかないので、ヒトラーは生存圏の確保を目指しながら実際には自国を危険にさらしただけだったが、ヒトラーと彼を支持したドイツ人にとって、生存圏の確保はそういう理屈では片づけられないない至上命題だったのかもしれない。よって彼らが、ウクライナの穀倉地帯を確保しようとしたのは不思議ではない・・・。

こういう説明は、私には筋が通っているように思われるのだが、もちろん、これは大澤が提供している説明とは異なる。大澤は、当時のドイツが置かれていた状況をほとんど考察しないまま、1937年の秘密会議でヒトラーが言ったとされる、中東欧に「民族なき空間volkloser Raum」が必要だ、という言葉に問題の手がかりがあると断定し、民族の生存圏が民族なき空間だとか、救済が同時に破滅でもある逆説だとかいった抽象論に終始している*3。「民族なき空間」という表現がホスバッハ覚書のなかのどういう文脈で使われているのかすら説明しないで推測を述べられても、こちらは困惑するしかない*4

*1:大澤真幸『文明の内なる衝突』p.41, cf.『ナショナリズムの由来』p.784

*2:cf. リチャード・ベッセル『ナチスの戦争』p.81

*3:「領土が欲しいから戦争をも辞さないという方針に立っていたというより、戦争へと相手を誘惑するためにこそ、不合理な要求を出していたとすら見える」『ナショナリズムの由来』p.686。ヒトラー本人の心理がどうだったのかはともかく、大澤は、ヒトラーには当てはまるかもしれない事柄をナチスあるいはドイツ全体に過度に一般化する傾向にある。

*4:若い世代の社会学者にとっても、大澤真幸は「作家」であって彼の書き物には「実証性」が欠けている、という評価のようだ。宮台真司ほか『システムの社会理論』p.245