- 作者: ウィリアムフィッシュ,William Fish,源河亨,國領佳樹,新川拓哉,山田圭一
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2014/08/31
- メディア: 単行本
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amazonのレビューを見たら、翻訳がけなされていたので原文に当たってみた。意味がとれない箇所として例に挙げていた箇所は
知覚経験は典型的には意識経験である。それは現象学をもつ。p.2
レビュアーは「典型的な知覚経験は意識経験(意識としての/における/を介しての経験?)である。それは現象学的考察の対象となる」といった意味なのだろうか、と記している。
この箇所に対応する原文は次のようだ。
Perceptual experiences are paradigmatically conscious experiences: they have a phenomenology [...]
たしかに、1文目の訳はひょっとすると少しまずいのかもしれない。私なら「知覚経験は意識経験の典型例である」とか訳すかもしれない。ただ、2文目の訳は直訳したらそうなるんだから仕方ないのでは、という気がする。「現象学」はフッサールとかの現象学とはほとんど関係ないので、「現象学的考察」などと言い換える必要もない。じゃあ、どういう意味なのよ、と思う向きもあるだろうけど、[...]以下が言い換えというか説明になってるので、著者は何も説明していないで用語を使っているわけではない。
ちなみに、この邦訳に関して、私はもっと別の箇所で気になることがあった。
アーヴィン・ゴールドマンの論文"Appearing as Irreducible in Perception" (Goldman 1971)は [...] p.94
原文では"Alvin Goldman"ではなく"Alan Goldman"となっている上に、論文の出版年も1971年ではなく1976年である。どういう理由でこういう訳になったのかの経緯が気になる。