小林よしのり・宮台真司・東浩紀の共著本『戦争する国の道徳』を読んでいたら、クリプキについて論じているのを見かけた。宮台や東がクリプキに言及することはこれまでにもあったが、ここでは分量が3ページほどあって、比較的まとまっている。気づいたことを少しコメントしておこう。
宮台 […]哲学者クリプキは1980年に書いた『名指しと必然性』で、固有名で名指される対象を深く考えた*1。東くんが「東浩紀」の名前である必要はない、名前自体は関係なく、大事なのは「この性(thisness)」だと。
東 クリプキが言ったのは、「小林よしのりは1953年生まれだ」「小林よしのりはマンガ家だ」「小林さんは『戦争論』の著者だといった属性をずらずら並べていったとしても、小林よしのりという人間の固有性は発見できない、ということですね。小林よしのりの固有性は「小林よしのりがこの人である」ということにしかないのだ、ということを言った。
amazonのあるレビューによれば、「p.187にある宮台のクリプキ理解は非常に怪しげ。東のフォローが無ければ無知が露呈していたのでは?」と書かれている。私の印象では、東と宮台が言っていることはそれほど違わない。宮台の例が少し分かりにくいのかもしれないが、要はこういうことだろう。
という文は必然的に真ではない。東浩紀は「東浩紀」という名前ではなかったかもしれないからだ。同じように
という文も必然的に真ではない。小林よしのりは『戦争論』を書かなかったかもしれないからだ。
違和感があるとすれば、「この性」という言い方をしてるところだろうか。『名指しと必然性』では "thisness" という語は使われてないと思う。「この」なんて言わないで、東浩紀の本質は「東浩紀」という名前の持ち主ではなく東浩紀であることだ、小林よしのりの本質は『戦争論』の著者であることではなく、小林よしのりであることだ、などと言えばよいのではなかろうか。というのも
これは必然的に真だろうからである。このことは、「東浩紀は「東浩紀」という名前の人である」が偶然的真理であることと矛盾しない。(固有名の)使用と言及の区別に注意しよう。
さて、面白くなるのはここからだ。
宮台 […]あの本が出てきた背景に[…]1960年末の時代精神があった。あの時代、多くの人が何かに抗っていた。当時は先進各国は経済成長時代。消費社会化が進んで共同体が崩れていく。自分も値札がつくだけの取替可能な存在に出していく。どうすれば自分の「この性=取替不可能なもの」を保てるか。それこそが「抗い」だった。p.188
[…]クリプキの名著『名指しと必然性』と『ウィトゲンシュタインのパラドックス』は相次いで書かれたけど、僕は『2001年宇宙の旅』『未来惑星ザルドス』『惑星ソラリス』に結晶化した70年代の取替可能性・取替不能性をめぐるモチーフを、学問的に突き詰めたものだというふうに感じた。p.189
大胆な仮説である*2。理論哲学の議論に関して、こういう社会学的・歴史的な説明を与えるのがうまくいくケースがどれくらいあるのかはよく分からない。ただ、私自身は、『名指しと必然性』を読んだときに上のような問題意識はもたなかったし、多分ほとんどの哲学者も同じではないかと思う。
宮台に言わせれば、それは私を含めた読み手が単に鈍感なだけなのかもしれない。決着をつけるにはクリプキ自身に尋ねればよいのだろうか(「ソール、『名指しと必然性』の講義をやったとき、あなたは1960年代の時代精神に影響されてたんですか?」)。クリプキが否定したとしても、宮台は、「いや、影響は無意識に及んでいるのだ」と答えるかもしれない。
しかし、仮に宮台の心理的説明が正しかったとしても、『名指しと必然性』で固定指示子みたいな概念が登場した理由の説明として、宮台説が優れているのかといえば私は疑問だ。私にはどう考えてもdesignatorの固定性と非固定性の区別なんて議論は、クワインの様相論理批判が主要な背景だとしか思えない。例えば、
- □8 > 7
- 惑星の数 = 8
- よって、□惑星の数 > 7
といった誤謬推理について、クワインは量化様相論理に問題があると診断したのに対して、様相論理の専門家クリプキは、問題の元凶はむしろ名前についての考え方にある、と診断した*3。固有名と確定記述の違いに目を向ける主要な動機はこの辺にあると考えるのが自然だし、一般にもそう理解されていると私は思う。
Postscript (2016/10/10)
『名指しと必然性』p.3には「『名指しと必然性』の中の思想は、60年代初頭に徐々に形成され―その見解のほとんどは1963-64年頃に定式化された。もちろん、その仕事は様相論理学のモデル理論における初期の形式的な仕事から生み出されたものである」とあることに今更だが気付いた。まぁそういうわけだから、上の記事で私が最後に言ったことは、クリプキ自身の記述によってもおおむね裏付けられたといってよいだろう。