ボリス・カーロフが人造人間を演じていることで有名な『フランケンシュタイン』の映画って、原作の小説とはほとんど別物だということを最近知った。原作だと、人造人間はちゃんと頭の働いている怪物だけど、映画だと池沼みたいだ…。
このシーンは結構有名みたいで、例えば、あるラカン派精神分析の研究者(?)はこんなことを言っている。
ハンナ・シーガルがその論文「象徴等式」で示すように、精神病圏の患者さんたちこそが、たとえば「ニキビの痕にできた穴=ヴァギナ」のような、メタファー化をいっさい伴わない言語活動を営んでいるという事実です。たとえばボリス・カーノフ主演の映画「フランケンシュタイン」で、この怪物はそのロジックで行動しています。少女と花を川に流して遊んでいた怪物は、少女を川に流してしまいます。少女は花のように美しい、からではありません。少女も美しく花も美しいなら少女は花だから。だから川に流すのです、花を流したのと同じように*1。
何言ってるのかよく分からないが、とりあえず、精神病者は「少女は美しい、花は美しい、よって、少女は花だ」という風に推論して、二つの前提の述語が同じなら主語と同一視する、ということを言いたいようだ。シルヴィーノ・アリエティという精神医学者も、精神病者の推論に関して同じようなことを言っている*2。
かつて、中村雄二郎は西田幾多郎がこの手の推論を多用していると論じて、日本の偉大な思想家を狂人扱いするのか、と非難されたらしい*3。私は西田ファンではないので、それでも別にかまわないのだが、しかし、中村はこの手の推論を認める論理を「述語論理」と呼んだらしい。このネーミングは本当にミスリーディングだから止めてほしいと思う。