Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

家族制の廃止

『国家』のプラトンは、家族制の廃止を打ち出した。個々人の結婚相手をある種の優生学的な理由で国家が決定し、養育・教育も国家が担うべきというのだ。それにしても、結婚相手を国家が決めるというのは、マンガではありうる設定ではあっても*1、現実に実現することはなさそうだ。プラトンの弟子アリストテレスも、家族こそが共同体の基本だと考え、血縁による親子を重視した。自然な愛情があってこそ共同体は成立するというアリストテレスに、現代でも多くの人が同意するのではないか。

しかし、家族制の廃止というアイデアを評価する人も少数だが存在する。行動主義の心理学者J・B・ワトソンは親の愛情を敵視し、赤ちゃん牧場のようなものを作って科学に則った育児を実践したいと夢想していたと言われる*2。ワトソンの家族消滅論は大きな反響をよんだ。革命直後のソ連が、事実婚を承認して子供の集団的養育を政策としたため、ワトソンはボルシェヴィキと非難された*3。人類学者マリノフスキは「行動主義behaviorist」をもじってワトソンを「非行主義misbehaviorist」と呼んだとか*4

もっと最近では、東浩紀が次のように述べている。

プラトンの『国家』では、子供を共和国で共有することになっていましたよね。子供を共有することが合理的な世界をつくるためには必要なんだという発想は、長いあいだ意味がわからなかったんです。しかし、いまはわかる気がします。子供を持ってしまうと、人はある時空にしか生きられないということ、そして、自分が死んだ後には自分の身体を分有したものがやはり特定の時空で生きつづけるということを強烈に意識してしまう。だから、普遍的な立場に立ちにくくなる。プラトンはそれがわかっていたのだなあと*5

*1:例えば、ムサヲ恋と嘘』。

*2:ブラム『愛を科学で測った男』2章

*3:次の記事も参照。ソ連の「フリー・ラブ」実験の失敗(1)

*4:ワトソン『行動主義の心理学』訳者あとがきp.389

*5:ナショナリズムゲーム的リアリズム