Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

喫煙のリスク

喫煙のリスクは長いこと論じられている。だが、この問題について現在の研究者の多数意見はどうなっているのだろうか。

少なくとも、喫煙と肺がんの間に相関関係がある。ガードナーの本によると、肺がんは1920年代に急増し始めた。それは喫煙習慣が急速に普及してから20年ほど経ってからのことだそうである。そして、喫煙率が1960年代から70年代にかけて低下し始めると、多くのがんがその20年後に低下し始めたのだとか*1

より物議を醸してるのは、喫煙が肺がんを引き起こすという因果関係があるのかどうかである。これに関して、アメリカでは、タバコ会社の製造物責任を問う訴訟が何度も起こされ、原告の訴えが退けられてきたのだが、1990年代に入るとニコチンの依存性が明確に認められるようになってきたという*2。ということは、おそらく因果関係も認めるのが多数派なのだと思われる。

これが世の趨勢なのだとすると、因果関係の懐疑論者はひょっとするとタバコ業界に利害があるのかもしれない。あるいは、喫煙ががんの原因であることをアメリカの公衆衛生当局がなかなか認めなかったのは、もともとはナチスがこの関係を確証したから、という説もあるので*3、なにかイデオロギー的な理由もあるのかもしれない。

しかし、懐疑論からは、喫煙のリスクを強調する側にも科学的でない偏向があるのではないかという指摘もある。これは少し興味深い。

例えば、広瀬隆によると、禁煙運動は1950年代のアメリカではじまった。ネバダ州ではすさまじい原爆実験が行われ、大量の放射能がアメリカ西部に降り積もった。そのとき、プルトニウムがタバコの葉に付着してガンを引き起こすという批判に対抗して、タバコこそが肺がんを起こしていると原子力産業が嘘の宣伝をしたのだった。この禁煙運動はいったん収まったが、1980年代以降、オフィス内のタバコのヤニが電子回路の接触部にトラブルを起こすようになって、車内禁煙が求められるようになった。このエレクトロニクス業界の慣習は、全世界に輸出され、健康被害へと転嫁されていったのだ、と*4

また、解剖学者の養老孟司はこんな記事を書いている。

一つ目の記事は最初に「今さら言われなくても、たばこが健康に悪いことなど、昔から誰でも知っている」と書いてあるのだが、実際に読み進めると広瀬氏と同じ程度にはタバコのリスクを過小評価している。二つ目の記事では「副流煙の害なんて最初から信じてなかった」と言っている。

私には広瀬や養老の言い分[スケープゴート説、副流煙はほぼ無害説]を判定する用意がないのだが、たとえ彼らの言ってるが正しいとしても、喫煙に害がないということにはならないからまぁよしとしよう。つまり、最初は単なるスケープゴートだったが、本当に害があることが後になって判明した、という可能性は十分に考えられるし、副流煙の害は大したことなくても、喫煙の害は深刻ということも十分ありうる。

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*1:ダン・ガードナー『リスクにあなたは騙される』文庫版 p.377

*2:宮崎哲弥『新世紀の美徳』p.94

*3:ピンカー『人間の本性を考える』中巻p.39

*4:広瀬隆『文明開化は長崎から(上)』p.66