Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

ぶっ壊し野球

数年前まで CNN student news を割とよく見ていたのだが、一つ気になることがあった。アメフトが脳に及ぼしうる悪影響を割と頻繁に取り上げていて、まるでネガキャンをやっているかのように感じたのだった。アメリカ人の知人にこのことを聞いてみたら、その程度のニュースで子供たちがアメフトを止めるなんて考えにくい、活躍してチームが勝利すれば地元のヒーローになれるし、という趣旨の答えが返ってきた。10代の子供は医学的な観点からみた危険性を、大人ほどには深刻に受け止められないのだろう。

似たような話が甲子園の野球にも当てはまる。

常に甲子園をめぐる感動秘話を探しているメディアにとっては、腕が折れようとも投げ抜く高校球児の熱い心は、感動物語には不可欠な要素になっている。投球制限が設けられた中で淡々とプレーをするような高校野球では、商品としての価値が今より大幅に落ちてしまう。それこそが正に、将来が有望な特定の優良選手に過度の負担を強いている根源的な原因でもあるわけだが*1

この文章では触れられてないけど、例えば、タイブレーク制を導入して、延長戦からは一塁にランナーを最初からおいて点が入りやすくする、それによって投手を投げ過ぎないようにさせる、という提案もある。ところが、これに対しては、そんなのは野球じゃないとか、最後まで全力を尽くさせてやれ、みたいな反応が結構な数ある。

この種の問題は、どう考えたらいいのだろう…。一方では、身体がガタガタになっても死力を尽くすということにドラマ的要素があるのは確かだが、それを高校生にやらせなくてもいいだろうという見解がある。ぶっ壊すのは20代になってからどうぞ、と。こう言うのは簡単だし、私自身は当事者でも何でもないのでこの見解に傾いている。けれども、他方で、大人も含めて関係者の大多数が、いいんだよぶっ壊れても、あとあとどうなっても知るものか!とりあえず今が良ければそれでいいんだ*2、と大真面目に言うのであれば、反対する気もしない。というか、反対する気がしないのは、またもや私自身が当事者でも何でもないからなのだが。

Postscript (2015/8/12)

eternalwind氏のツイートを読んで、上の記事で私が漠然と思っていたことがかなり明確になった。彼の意見を紹介してみる。

まず、世界の野球人口の半分以上が日本人であるにもかかわらず、イチローと松井以外の打者はMLBの一流といえる水準(OPS0.8以上)に達していない。野球有名校に入学するレベルの選手の4割が、卒業までに何らかの慢性障害を抱え、そのうち3割は野球の継続が不可能になるという調査もある。これらの客観的事実からいって、日本の野球教育は根本的に上手くいっていない。

次に、規範レベルの話をする。プロスポーツであれば、興行のため、少々の逸脱(成績と引き換えに身体能力切り売り)もありえるが。甲子園のぶっ壊し野球は、高校野球がアマチュアスポーツであることからして、正当化できない。アマチュアは身体の鍛錬を目的にすべきだからである。