ソーカルとブリクモンの『知の欺瞞』には、ラカンとクリステヴァが述語論理を誤解していると指摘する箇所がある。例えば、
- 記号論理学では、否定はwffにしか適用することができないが、ラカンは量化子に否定をつけようとする。しかも、「量化文の否定を意味しているのでしょう?」という好意的解釈を踏みにじるかのように、そういう意味ではないとはっきり言っている…(p.47)。
この箇所に関して、ラカニアンは「とりあえず量化記号に否定がついている場合は直観主義っぽくやってくれ、という程度の合図だと考える」ようにしているらしい*1。どういう意味なんだろう…。
- クリステヴァは、述語論理と命題論理を混同しており、また編集者が `propositionnelle' を `proportionnelle' と書き間違えたことから、「比例論理」という珍名称が生まれたという(p.68)。
追記(2014/4/8)
『古代ギリシア・ローマの哲学―ケンブリッジ・コンパニオン 』を読んでいたら、「比例論理」とは逆の間違いを見つけてしまった。「エウクレイデスは素晴らしい明敏さで命題理論を発展させている(第五巻)」とある(p. 414)。『原論』の5巻でユークリッドが発展させたのは比例の理論であって、命題の理論ではない。頼むよー。