- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/10/08
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 72回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
幅広い話題が詰め込まれていて、気楽に読む文には結構楽しめる。この本の一つの特徴は「同時代現象への注目」といったところだろうか。例えば、19世紀後半に、注意という心的能力がとたんに関心を集めるようになり、それと同時に、催眠術も人気を集めるようになった。注意を極端に研ぎ澄ましていくとトランス状態になるということを考慮すると、二つが同時代に現れたのは単なる偶然じゃないかもしれない(p.272)。たしかに、何らかの共通原因があるのかもしれない。
しかし、こうしたスタンスの問題は、上手くいけば示唆に富んだ叙述をうみだすが、下手をすると筋悪な思いつきにしかつながらないことにある。本書の場合、一番深刻だと思うのは、物理学のアナロジーを縦横無尽に使いまくってることだ。相対性理論と探偵小説は時間をめぐる同じ問題への応答とみなせる(p.97)。シュミットの政治的決断と量子力学との並行性(15章)、観測に伴う波動関数の崩壊はキリストの受肉と同じ論理に従っている(p.223)、などなど…
だいたいにおいて、著者の本は堅実さとは対極にあるが、本書も歴史を扱った本としては科学史に関するミスが多い。ガリレオの『天文対話』が1644年の著作だとされていたり(p.21)、周転円を導入したのはプトレマイオスだとしていたり(p.37)*1、あるいは細かいところだと、「ユークリッド幾何学は、角度の遠近法を前提にしている」(p.345n6)という箇所では、『原論』と『光学』を混同しているように見える。
数学に関しても突っ込みどころがある。例えば、一部ネット界隈でも話題になった自然数の定義(p.15):
- 0 = Ø
- n+1 = {Ø, 0, 1, .., n}
{Ø, 0, 1, .., n} = {0, 0, 1, .., n} = {0, 1, .., n} なので、実質的にはフォン・ノイマンの定義と同じになる(その意味で、間違ってはいない)。いまチェックしてみたら、『身体の比較社会学I』p.201f ではこういう定義になっているのに、なぜ変えたし…。
無理数についての記述もひっかかる(p.120)。例えば、√2は、
- x = 2/x
という風に定義される。これは自己言及的であるから、無理数の導入とは、自己言及性を内部に封じ込んでいる数を導入することで、自己言及性からくる決定不能性を克服することである・・・云々。しかし、それなら
- x = x+x
と定義される0は、無理数なのかしら…。自己言及⇒決定不能とかいう条件反射が形成されているのではないか。
Postscript (2014/7/29)
上で紹介した妙な定義の類例として、こんなのを見つけた*2。
普通、自然数の領域での関数の計算可能性は、帰納関数とか再帰的定義とか言われるやり方で示される。たとえば加法は、
x+1=φx・・・(1)
x+φy=φ(x+y)・・・(2)(ただし、φxはここではxの次の自然数を指示する。)
全くの間違いではないのかもしれないが、(1)はなぜ "x+0 = x" としないのだろう。上に引用した箇所の直後にある乗法の定義では0も自然数に含めているのに…。
*1:周転円を導入したのは、一般に、ペルガのアポロニウスだと言われる。