Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

アルキメデスの大戦

映画「アルキメデスの大戦」を見た。思うところは色々あるのだが、一つだけ。Yahoo映画のコメントを読んだところ、「イミテーションゲーム」のパクリでは、という感想を述べる人が何人かいたのだが、私自身は昔読んだ小室直樹『危機の構造』の次の箇所を思い出した。

戦艦「大和」ほど日本人のイマジネーションを刺激したものも少ない。…しかし、大和建造に関して、まだ社会科学的分析が加えられたことはないように思われるので、ここでは情報操作との連関において、この印象的な歴史的出来事についてコメントを加えたい。

戦後において大砲巨艦主義を嘲笑することは容易である。しかし、このような結果論は、責任ある歴史家や社会科学者を満足させないであろう。すなわち、ヤマト設計の統治のいて、大砲巨艦主義を否定すべきデータは何も存在しなかった。この場合、責任ある当事者として、それ以外にいかなる方針をとりあえたであろうか。航空機は、遠い将来においては戦艦より有力となるかもしれない。しかし、当時においては明らかにそうではなかった。では、(両者の優劣が転倒する)決定的時点はいつであろうか。このことについてはだれも予想しえなかった。ゆえに、この時点以前に開戦の時期を迎える可能性も考え合わせれば、当事者としては全く大砲巨艦主義を棄て去るわけにもゆかないであろう。そこで、日本海軍が実際に採用した国防政策は、結局、航空機、大砲巨艦併用主義であった。そして、歴史を詳細に検討すると、この政策は、考えうる最高のものではないにしても、諸外国の国防政策に比べれば、ずばぬけて賢明なものであることが判明した。

大砲巨艦主義の反対は、航空母艦主義ではない。小砲矮艦主義という名称はなかったが、事実において、このような傾向があったことは否定できない。ワシントン条約が失効して列強が新戦艦を建造した時、その主砲口径は、イギリスは14インチ、独仏伊は15インチ、アメリカは16インチであった。そして、実際、海上で砲火を交えてみると、やはり大砲巨艦は強い、ということであった。イギリスのキング・ジョージ5世級は、結局、ドイツのビスマーク級の敵ではなかった。チャーチルの『大戦回顧録』を読む者は、だれしも、いかに彼がこのことをくやしがっているか、ということについて深い印象を受けるであろう。

このように、大戦の初期あるいは考え方によっては大戦の中期ごろまでは、大砲巨艦の威力はまだ無視すべからざるものがあった。ゆえに、圧倒的威力を持つ18インチ砲艦大和、武蔵は、使い方によっては、どんなに大きな働きをしたことであったろう。しかし、われわれがここで強調したいのはこのことではない。海軍当局が、大和の建造に死力をあげつつも、その情報操作については全く思いも及ばなかったことである。

大和のような巨艦の建造は空前のことであり、海軍当局は全力をここに集中した。…その秘密管理も厳重をきわめ、さすがのアメリカ海軍情報部も、戦後にいたるまでその全貌を知りえなかった。しかし、このような死に物狂いの努力にもかかわらず、海軍当局は、情報操作の効果については、考えてみようともしなかった。

大和に関する厳重をきわめた秘密管理によって、アメリカ海軍は正確な情報が得られなかった。そこで、いろいろ考えたあげく、おそらくそれは16インチ砲戦艦であろうと推定した。その結果、新戦艦の主砲は14インチではなく16インチとした。これはまさにわが海軍の思うツボである、と思われようが、実はここに日本人的思考の限界がある。

わが海軍は、なにゆえに、大和の主砲について沈黙を守ることなしに、14インチである、と発表しなかったのであろう。もしそう発表すれば、それは相当の真実性をもって受け取られたであろう。わが国の全権は、軍縮会議の席上主砲の制限を14インチとすべし、と主張していたからである、現にアメリカすら14インチにしようとしていたのではないか。そうすれば、大和はアメリカの新戦艦に対して、合計4インチ得をすることになり、その圧倒的優位はますます動かないものとなったであろう。

このような情報操作は、厳重をきわめた秘密建造に比べればはるかに費用もすくなく、 しかもその効果においてはほぼ等しいものがある。それにもかかわらず、後者に関しては、気狂いじみた努力をはらった海軍当局も、前者に関しては考えてみようとさえしなかったのである。(文庫版pp. 85-88)

ここで言われているような情報操作にどのくらいの実行可能性があるのか私は評価できないわけだが、事実認識うんぬんは横におくとして、小室が第二次大戦の話をするときは、戦争に負けたのが本当に本当に悔しかったんだろうなぁという思いが伝わってくるのである。