あまりに偉大な文化的名声のゆえに、ギリシャ哲学は憤りを買うこともあった。ギリシャ哲学によって自分たちが文化的に追いやられていると感じた集団が、ギリシャ哲学には新しいものは全く何もない、それはことわりもなく剽窃を行なってきた伝統にすぎないと主張しさえした…初期のキリスト教教父は、異教徒の哲学者たちが彼らの考えをユダヤ教の聖典から盗んだのだと考えていた。20世紀のアフリカ中心主義的な作家は、エジプトの神秘宗教について同じような主張を行なっている。しかしながら、それらの主張は歴史的に観ればまったく成算のない考えである*1。
プラトンはアッティカ方言を話すモーゼだ、といったフレーズはしばしば目にするけど、このフレーズの背景にあるのは「ユダヤ教の方がギリシャ哲学より先だ」という考え方なのだね*2。
木田元は、プラトンはソクラテスが処刑された後、世界漫遊旅行に出かけ、北アフリカでユダヤ人と出会ったことでイデア論を思い付いたとか、推測してたけど*3、それはここでいう「成算のない考え」の典型ではないかと思われる。長年にわたってプラトンが旅行に出かけたのは本当だろうが、どこに行ったのかは定かでない。ユダヤ教に接したという推測の根拠としては、アウグスティヌスの『神の国』8巻11章あたりが考えられるプラトンはエジプトに滞在したことがあり、そこで聖書についての知識を獲得し、それによって『ティマイオス』の創世神話を書いた、と。しかし、この記述の信ぴょう性は高くない。