Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

結婚の掟

先日、レヴィ=ストロースの『遠近の回想』をとりあげた。この本は伝記なので、学術的な話はそれほど多くないのだが、10章「結婚の掟」は『親族の基本構造』に対する批判に答えようとしているところがあって興味深い。多少要約しながら紹介してみる。四角カッコの中身は私の感想。

 

『基本構造』を書いた時期、動物について近親相姦の回避に比較しうるどのような事実も知られていなかった。アリストテレス以来、動物といえばほとんど家畜を考察の対象にしていたからだ[そうなの?]。ところが、野生動物を観察するようになると、規制がないにもかかわらず同じ血縁に属する個体同士の交配は比較的稀であることが確かめられた。そこから、近親相姦の禁止は自然の中に起源をもつという人がでてきた。p.185

例えば、ベルベットモンキーは、近くに住む集団とオスを交換する。しかし、それを近親相姦の禁止だと解釈するのは飛躍だ。若い個体が思春期に達すると群れから追い出されるという一般的傾向があるのはたしかだが、それは食物を得るための競争だと解釈できる。近親相姦の禁止だという証拠はどこにもない。p.185f

近親相姦の禁止が自然のなかに基礎をおくのだとすれば、どうして執拗にそれを規則として定めようとするのかわけがわからない[フロイトの議論と似ている]。無文字の社会でも、近親相姦的な欲望がしばしば存在することを証明することわざが一冊の本になるぐらい沢山ある。p.186

同じ屋根の下で子供の頃から育った男女の間には互いに性的欲求が存在しないという議論もある。その証拠として、イスラエルキブツと台湾の例がくりかえし引用される。だが、それが何かを証明することにはならない。そういう性的欲求の欠如は、あらかじめ子供たちの性的関心を家族の外に向けさせることの結果かもしれないし。p.187

 

まとめ終わり。感想としては、近親相姦の禁止が「自然の中に基礎をもつ」ということを、人間以外の動物も人間と同じ意味で近親相姦を禁止するルールに従っているという意味ではなく、人間以外の動物も近親相姦を回避する傾向をもつという意味で解釈するなら、そんなに頑張って否定しなくていいのでは、という感じ。この辺は究極要因と至近要因の区別という定番のアイデアの使いどころであって、人間も含めていろいろな種類の動物が、究極的には近親相姦を避ける機能をもった行動パターンをもつ、ということは普通に言えると思う。近親相姦を回避するための至近メカニズムは種によって異なるんだろうけど。

というか、ざっと読んだ感じだと、まじでこの人、近交弱勢とか信じてないんじゃないかという気がするんだよなぁ…。気のせいだといいけど。

最後にでてくる、イスラエルキブツウェスターマーク効果の証拠になんてならない、という話はちょっと考えさせられる。実は、キブツの調査をしたスパイロという人はウェスターマーク効果を信じていなくて、エディプスコンプレックスの説を信奉していた。スパイロはエディプスコンプレックスの普遍性を否定したマリノフスキを批判するつもりで『母系社会のエディプス』という本を書いている。この本のことは、デイリーとウィルソンの古典『人が人を殺すとき』で知った(ボロカスに叩いてる)。ただ、私自身は未読なので論評は避けておく。