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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

人口増加

人類はなぜ農業を始めたのか、という有名な問題がある。素朴に考えると、これは愚問だ。農業は偉大な発明である。農業を始めれば不安定な栄養状態が解消されるだろうし定住することで子育ての負担も減るし、良いことづくめではないか。農業をわざわざ始めた理由を問うのは愚かであり、農耕の可能性に思い至ったから始めたに決まっているのではないか。

しかし、これには重要な反論がある。農耕社会では摂取カロリーの大部分が穀物に偏るためには狩猟採集生活よりも栄養状態が悪くなり、定住によって人口密度があがって疫病に苦しみやすいなど、難点もある。だから、少なくとも「良いことづくめ」ではない。ただし、子育ての負担が減るという利点は残る。そのため、女性の出産周期が短くなり農業社会への移行とともに人口増加が生じたらしい。ここで興味深いのは、いったん人口が増えてしまうと、もはや狩猟採集生活には逆戻りできないということだ。単位労働当たりの生産性は狩猟採集の方がよい、つまりラクチンかもしれないが、農業によって増えた人口を狩猟採集で支えることはもはやできない。そう考えると、農業がはじまったきっかけは、気候が寒冷化して狩猟採集では食っていけなくなり、仕方なく農業をはじめたものの、今度は農業なしでは生きられなくなった、といったものだったのかもしれない。この異論は細部では修正の余地があるものの、大筋では正しいと思われる。

最近知ったのは、同じような対比が農業システムの技術改良においても成り立つらしい、ということだ*1。農業と一口にいっても焼畑のような休耕期間の長いものから、多毛作のように短いものまで色々ある。焼畑農業は単位労働当たりの生産性が高くラクチンなのだが、地力が回復するのに10年以上、20年から25年くらい待たないと持続可能な方法ではない。人口が少ない社会では焼畑は有効であるが、多くの人口を支えようとすると集約的な農業システムに移行しないといけない。灌漑をしたり家畜の世話をしたり、手間が増えていく。「なんでそんないばらの道を選ぶんですかねぇ」といえば、例えば、温暖な気候のもとで収穫量が増えた時期がある程度続いてから、一気に寒冷化したりすれば、いったん増えてしまった人口を支えるには人々の生活水準を落とすか、技術革新をおこすしかない。後者の道は、収穫を上げる代償として、キツい労働が待っている…。

人口増加を否定的にながめるこのマルサス的な歴史観は、たしかに乱暴ではある。人口増加にもそれなりの利点[インフラを維持できるとか、技術革新を起こしやすいとか]があるだろう。しかし、個人的には、この議論はやはり大筋で正しいのではないか、という印象を持っている。ひょっとすると、私はこの議論のシンプルさに惹かれているのかもしれない。例えば、大澤真幸は次のような文章を書いている。

我々が、王を中心とする「再分配機構」の成立について、過度に複雑な説明を与えようとしている、と覆われるかもしれない。しかし、これらのことは、しばしば思われているよりも、はるかに説明が難しいのである。

たとえば、王から奪われることの受容(税を取られることの容認)は、王によって保護されることの体かである、などと説明される。だが、もしそうだとすれば、なぜ、人は王によって保護され、王の支配下に入らなくてはならないのか?

このことは、たとえば、「灌漑を伴う集約的な農業」を実現するのに必要な大規模な共同のために、王の支配に参加する必要があったのだ、などという説明がなされてきた。しかし、ドーヴ(Dove [1985])は*2、ジャワの諸国家を例にとった歴史的・生態学的な研究によって、焼畑ないし粗放的農業」が「灌漑をもつ集約的農業」よりも生産性が低いというのは、全くの誤りであることを示した。確かに単位面積あたりの生産性に関しては後者は優れるが、逆に単位労働あたりの生産性について言えば、前者の方が優れている。つまり、従属者は、農業の生産性について言えば、王の支配の下に参加することで、いささかも利益をうけていないのである*3。 

大澤が提唱する「複雑な説明」とやらは成り立つはずがない、とまでは言わない。しかし、赤字部分の論証には flaw があるのではないか。「つまり」より前の観察からそれ以後の結論を導くことができるとは思えない。単位労働当たりの生産性が落ち込んでいるにもかかわらずそれを手放せない理由は、上で紹介したような理路でもっとシンプルに説明できるんじゃないか。大澤は対抗仮説relevant alternativeを棄却するのに失敗していると思う。

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*1:リヴィ=バッチ『人口の世界史』

*2:「ダブ」の方が適切な気もする。

*3:大澤真幸『行為の代数学』p.330n7