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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

偽記憶(2)

一時期の大澤真幸は、偽記憶症候群に関心があったらしい。たとえば『現実の向こう』(2005年)の2.5節、『美はなぜ乱調にあるのか』(2005年)所収の「Ghost in the Patlabor」、『不可能性の時代』(2008年)5章あたり。

大澤は多重人格から話をはじめる。多重人格の患者は、カウンセリングの中で幼児期の性的虐待の記憶をとりもどすことがあり、それでカウンセラーたちは性的虐待が多重人格の原因だ、という説に飛びついた。でもそれは偽記憶でした、と。そのため虐待の疑いで告発された親が、逆にカウンセラーを告発するケースも出てきている。

大澤はまず、幼児期の虐待が多重人格の原因、という説はフロイトの複雑なヒステリーの理論と比べて過剰に単純でありお話にならない、とする。ここまでは先日紹介したロフタスとよく似ている。だが、大澤はロフタスのようにカウンセラーが偽記憶を植え付けたという風には解釈しない。むしろ、偽記憶症候群ではいわば二重の隠蔽があると言っている。患者は心理的に認められない内容Xをまず隠蔽し、Xよりは比較的マシである内容Yによってさらに塗り固めている。そうすると、カウンセリングによって引き出されるのはせいぜいYまでであって、Xには到達できない。ここでいうYが幼児期の性的虐待に相当する。幼児期の性的虐待は悲惨だが、それと比べればまだマシであるような内容Xが隠れているはずだ、という風に大澤は議論を進める…。

しかし、ロフタスらの懐疑論を対抗仮説として触れることもせずに、こういう思弁にふけることに何か意味があるのだろうか。Xの記憶を隠蔽してそれをYで更に塗り固めるみたいなことを簡単に言うが、そういう心理的メカニズムがあるという経験的証拠はどこにあるのだろうか。YはXに比べればまだマシというが、ロフタスの本とか読んでると、カウンセリングによって患者は更に調子が悪くなってるので、一体何のための防衛反応なのか分からない。そして、Xに入るべき内容が例によって抽象的すぎる。何が第三者の審級の崩落だよ。