Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

偽記憶

記憶研究で有名なロフタスの著書を読んでみた。

抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって

抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって

 

ありもしない性的虐待の記憶をカウンセラーに植え付けられた女性が親を訴える、というケースが一時期アメリカで多発した。本書はそうしたケースを数多く紹介し、インチキカウンセラーの所業を科学的心理学の立場から批判したもの。ノンフィクションのドキュメンタリーといったスタイルの本で、やや分厚いがとても読みやすい。人間の心理に関心あるすべての人に薦めたい良書だ。

抑圧された記憶をめぐる論争がアメリカであった、という話はおおよそ知っていたのだが、虐待の記憶をとりもどしたとして親を訴えて家族が崩壊した(or 崩壊に瀕した)数々の事例に関する本書の叙述は生々しく、読んでいて本当に痛ましい。眼に入れても痛くないほど可愛がって育てた娘から、いきなり全く身に覚えのない性的虐待を告発される、娘は真剣だから嘘をついているとも思えない、気付いていないだけで本当の自分は悪魔みたいな人間だったのか、それとも娘はあくどいカウンセラーに騙されているのか、だとしたらどうやってそれを証明したらいいのか…。

問題は「抑圧された記憶」という観念にある。告発者たちは、記憶はビデオテープのようなものであり、一度体験した出来事は脳のなかのテープに書きこまれる、しかし、出来事がトラウマ的な場合には、防衛機制によってそのテープを再生できなくなる、といったことを考えている。これに対し、バートレット以来の記憶研究は、エピソード記憶はビデオテープのようなものではなく、思い出すたびにシナリオが再構成されるのだ、といった立場をとる。体験した出来事の内容は、脳の中に断片的に書きこまれるが、一連の流れとして思い出すときには、断片からの再構成が入る。そこには改ざんの余地が大いにある。

本書の7章では、有名な「ショッピングモールの迷子実験」が紹介されている。実験の背景にあるのは、性的虐待の訴訟が多発しているという社会問題である。記憶の植え付けという一見無謀な所業が可能であることを実験的に示したい。だが、植え付ける記憶はトラウマ的でないといけない。そうでなければ、虐待の記憶をとりもどしたケースとの関連が薄くなってしまう。とはいえ、あまりに深刻な記憶を植え付けるようなことをすれば、研究の倫理上許されなくなってしまう。試行錯誤のすえに思いついたのが、ショッピングモールで迷子になった記憶を植え付ける、という実験。これはマイルドなトラウマ的出来事だろう、というわけだ。

本書は論争の書ではあるが、翻訳の文体もあってか、まったく攻撃的な雰囲気を感じさせない。ロフタスは自分の批判対象を絞り込むために、非常に注意を払っている。

例えば、抑圧された記憶は神話だという懐疑的主張に対し、フェミニストからは、あなたの研究はじっさいに性的虐待をうけて苦しんだ女性が親を告発するのをためらわせている、といった非難をロフタスは受けた。しかし、ロスタスは、子供に対する性的虐待が実際に起きていることは否定していない。重要なのはエピソード記憶についての科学者としての見解であり、その立場からすれば抑圧された記憶という観念には実証的な裏付けがほとんどない、というのがポイントである。じゃあ、性的虐待をうけた人の苦しみはどうでもいいのか。そんなことはない。抑圧された記憶などというものは虐待の証拠にならないと言っているだけで、それ以外の証拠を提示しなければならない、と言っているのだ。そもそもフェミニストは、身に覚えもない虐待のことで告発される親の悲しみを考えたことがあるのだろうか。それでもなお、あなたは保守的な父権主義者だと非難されるならば、イデオロギーの対立には興味がない、記憶についての科学をやっているんだ、と答えればよかろう。

ロフタスはフロイトにも寛容だ。本書の後半では何回かフロイトへの言及があり、そこでは、カウンセラーたちがフロイト精神分析を曲解して単純化していると指摘している。これは意外かもしれない。抑圧された記憶に対する彼女の批判は、フロイトの心理学に対する批判にもなりそうに思える*1。しかし、ロフタスはフェミニストからフロイトみたいだと非難されたこともあるのだ。そういうわけで、ここにはちょっと複雑な関係がある。ロフタスが本気でフロイトに肩入れしている科学者だとは思わないが、それでも、抑圧された記憶の神話に関する限り、ロフタスはフロイトの肩をもっている。

まず、フロイトは幼児期のトラウマの記憶が抑圧される、という風には考えなかったらしい。フロイトによれば、抑圧されるのは感情的な内容である。例えば、義理の兄と結婚したかった女性が、姉は死ねばいいという恐ろしい欲求を抱いてしまい、それを抑圧し、それがヒステリーという形で跳ね返ってくる、とか。たしかに、このケースは、トラウマの記憶がすっぽり抜けてしまい、それがカウンセラーによって思い出される、という構図になっていない。ここには「抑圧」という語の曖昧さが潜んでいる。

また、催眠術をつかって患者が幼児期のことをしゃべったとしても、その報告は当てにならない空想だ、とフロイトは考えたらしい。たしかに、フロイトも初期の頃は、ロフタスが問題にしているようなインチキカウンセラーと同じような抑圧の理論を考えたことはあるらしい。その理論は「誘惑説」などと呼ばれている。でも彼は誘惑説を割とすぐに手離したんだよね。そのため、この転向はのちにフェミニストから批判されることになった、という話だ*2

というわけで、本書は安易な精神分析への戒めの書ではあるが、フロイト批判には使えない。フロイト心理学に対する防波堤を築くには、アイゼンクとかグリュンバウムの本を読む必要があるだろう。 

*1:例えば、デーゲンの『フロイト先生のウソ』はそういう文脈でロフタスの研究を引用していたと思う。

*2:森『トラウマの発見』などを参照。