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Skinerrian's blog

論理学・哲学・科学史・社会学などに興味があるので、その方面のことを書きます。更新は不定期。

不思議の国のアリス(2)

こんな本が出ているのを知った。

『不思議の国のアリス』の分析哲学

『不思議の国のアリス』の分析哲学

 

個人的には、使用と言及の区別についての解説が印象的だった。例えば

  • 昨日は、一日前は今日だった

は一見正しそうだが、昨日は一日前であっても昨日のはずで、正しくは

  • 昨日は、一日前は「今日」と呼ばれていた

と言わねばならない。アリスはこの二つを混同したため、言い負かされる。

別の例。白い騎士がアリスにある歌を聞かせようとする場面。騎士はアリスを煙に巻くようなことを言い立てる。色々はしょって整理すると

  • この歌は「ゲートの上に座っている」という句を含む。
  • この歌の名前は「年とった年とった男」である。
  • この歌は「方法と手段」と呼ばれている。
  • この歌の名前は「コダラの両目」と呼ばれている。

の4つを騎士は厳密に区別するのだが、アリスはついていけないようだ。八木沢先生は特に2番目と3番目の区別について解説を加えている。名前と違った言葉で呼ばれるものはいくらでもある。例えば、「マクベス」と舞台の上で口にすることは不吉なので、シェークスピアマクベスのことを「スコットランドの劇」と呼ぶ習わしがある。あるいは、八木沢先生は授業中に眠そうにしている学生を "Mr. Happy Sleeper"とからかって呼ぶそうだが、そんな名前の学生にお目にかかったことはない、と。しかし、個人的にはむしろ、4番目こそが異常に思える。名前を別の言葉で呼ぶって、どういうシチュエーションなんでしょうか…。

ところで、ざっと見たところ、この本の前半は、わりと『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』に出てくる論理パズルに寄り添って、分析哲学の技法を解説している本、という体裁になっているのだが、終盤になると、アリスはどっかに言ってしまって、普通に分析哲学の話をしている、という体裁になっている気がする。

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